「花散るな今日は雷注意報」の批評
回答者 げばげば
こんにちは。
いつも勉強させていただいています。
御句。について提案やコメントを、と思うていろいろ考えていたのですが、ちがったのですね。自句に残されたコメントに対する怒りの句だったのですね。なんだかあまり粋ではないかもなあ。あ、個人的な感想でなんの客観的な根拠も裏付けもないですが、そう感じました。感じたことだけ書いてすいません、客観的裏付けがないとダメでした🙇♂️
そのあと、こま爺さんのリンクの青畝談話を詠んで心が和みました。なるほど、平明でかつ心に届く句を詠みたいという自分の目標にかなっていて刺さりました。
わたしにとっては、わからない、届かない、どういう意味?、言葉が難しい、という感想はとても耳が痛いです。わからない、に根拠はありませんが、そのわからないと言ってもらえる感覚の感想をとても頼りにしています。
初学の頃は、突飛な発想でどうだ!みたいな感じでいろいろチャレンジしていましたが、最近は平明で詩のある、季語と措辞の響きで心がびょんと飛べたような気になれる句が好きで、自分もそういう句を詠みたくなっています。
すいません、また何の根拠もない、自分の好きな感覚についての語りをしてしまってました🙇♂️
ときに、みつかづさん。みつかづさんはどうして俳句を詠むのですか?どういう瞬間が俳句の生活のなかで楽しい!と思う瞬間ですか?
好きな句を詠めたときですか?誰かに句が届いたときですか?自句をわかってくれない人を俳句論で言い負かせたときですか?
どんなときがたのしいですか?
みつかづさん、俳句大好きっておっしゃってたから、ぜひ聞いてみたくなりました。私も俳句大好きです。理論や根拠ではない質問で失礼しました🙇♂️理論じゃなくそういう話を聞いてみたくなりました。
点数: 5
添削のお礼として、げばげばさんの俳句の感想を書いてください >>
句意:桜よ。まだ散らないでいてほしい。(雨が降っており)雷注意報が発令されているので強い雨に打たれるかもしれないけれども。
季語:花(晩春)
※ 「雷注意報」で一単語なので、季違いにはならないと思います(落雷の危険性がある場合は年間を通じて発表される為)
用いた技法:句跨り(「雷注意報」で一単語である為)