「千キロのドライブなりし朝の霧」の批評
こんにちは。
いつも勉強させていただいています。
ごぶさたしています、文化の日にコメントありがとうございます。
そうなんです、最近は伝統俳句も現代俳句もどちらも気になっていて、正調な俳句もがんがん詠みます。何気ない景に心が動くというか。昔はもっとエッジ効いてましたか?
先月の選をいただいた句では、
蒟蒻を掘る影ながき夕べかな
少年にうみべのにほひラムネ玉
鯛飯の底をさらうて夕涼み
こういう伝統っぽいのもありますし、
死にたしと思ひしころの書を曝す
白蟻だの離婚だの墓仕舞だの
香水のにほふピエロとすれ違ふ
こういう現代っぽいのもあります。
げばげばといえばこういう句柄というのが固まってないのは何とも言えないですが、
今は心が動いたことは詠みたいという感じで多作しています。
さて、御句。
「なりし」の「し」が過去の「き」の連体形なのかな?というところが少し気になりました。「なりし」が省けるなら、霧の方を補強できそうですね。
千キロのドライブ朝の霧深き
千キロのドライブ朝の霧の底
千キロのドライブ千の霧しづく
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ホテルでの朝です。千キロ疲れました。