「玻璃ごしの母の涙に薄暑光」の批評
回答者 イサク
こんばんは。
私の意見は卓鐘様と近いのですが
季語が主役、季語が脇役、という言い回しはさておきまして
有季定型俳句としては、何のために歳時記から引用して「季語」を使うのか?というただ一点だと思います。
季語じゃなくても成立するような句なら、有季定型俳句にする必要もないかも?
この話はここまで。
御句
初手は、なぜ母が家の外で泣いているのだろう?と思いました。自分の側には薄暑光がなく、玻璃の向こうの母のところに薄暑光があるので、
コメントによれば、作者は外にいて、母は室内。とすると想像の幅を広げるために切れを入れたいと思いました。
・玻璃ごしの母の涙や薄暑光
佐渡様と同じですね。
点数: 1
添削のお礼として、イサクさんの俳句の感想を書いてください >>
7月ですね~、今年は夏越しの祓いは行けませんでした😥
薄暑の時期は過ぎましたが、母の事を想っていたら、この句を思い出しました。今の状態では心配かけるかと、半年以上施設に面会に行ってません、2年位前コロナで面会行っても
私は外の駐車場、母は中の会議室で面会、帰るね?と言うと母の涙が光ったように見えました!
最初は上5はガラス越しでしたが、今日こちらの方が情緒があるかと推敲しました。
それと、皆様にお聞きしたいのですが(なおじいさんには相談しましたが、見た事ないとのこと)
投句や添削で、コメント入れて私はロボットではありませんのところで困ったような顔が出た事ありませんか?そうなると最初からやり直しです😥今日もありました!
私のスマホの問題なのか?混み合う時間帯が有って繋がらない気もするのですが…
明日ドコモへ行って聞いて来るつもりですが…
コウさんも時々あるそうです。
分かる方いらっしゃいましたら?
長々すみません<(_ _)>