「野遊びで髯のみごとな鳥に会い」の批評
回答者 イサク
わたしからもいちおう・・
私は師匠と呼ばれるのを好んでおりません・・というのは別の話ですが大事なので先に言いました。
こま爺様は勉強家でありますし、真面目な方なのだと思います。それが他人の句に対する厳しめの目線になっているのだと思いますが、自分の句に対する他人の意見にも厳しいところがあるように見受けます。
こま爺様が自分の句の作句意図を大切にしているのと同じように、他の方も自分の句を大切に思っています。また、こま爺様が他人の句に違和感を覚えるのと同じように、他の方もこま爺様の句に違和感を感じた時は意見を出してくれています。
という点と、
「○○はダメと××というサイトにありました」のように、どこかの誰かの受け売りのような意見は、こま爺様が本当に句の内容を見てくれているかどうか不安になります。
俳句を勉強できるサイトを紹介していただくのはどなたかの勉強になるかもしれないので構わないと思いますが、他人の言葉ではなくてこま爺様ご本人の意見で句の良しあしを鑑賞していただきたいなあ、と思ったことはあります。
という点です。
コメントは文字でしかないので、顔を合わせていれば伝わるようなニュアンスが伝わらないことがあります。
私はこのサイトにおいては、実績とかはあまり関係ないと思っています。猛スピードで追い抜いていくげ○○ば様みたいな方もいます。
文章表現の方法論や考え方はひとそれぞれでいいと思いますし、ましてや詩の世界に正解はないと思っています。
ので、他人と意見が食い違っても「そんな考え方もあるんだ」と思うのが勉強になっていますし、自分の句に厳しめの意見を言われるのは歓迎ですし、「他人の句のダメなところはわかるが、自分の句のダメなところはわからない」というのは俳句あるあるなので、意見の交流はあった方が良いと思っています。
私も間違っていることはいっぱいありますし、厳しめな目線はそのままに、いろいろと意見を伺えると幸せです。
点数: 7
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髯のある鵙のことです。