「二回目ですふと立ちたり寒卵」の批評
こんにちは。凡空です。
拙句へのコメントありがとうございました。
これについては後で。
さて、御句。
擬人化ですね。
不思議な気分にはなりました。
ただ、文法も含めて、「ふと」について。
普通に読んで、ふと、は立ちたり、を修飾してます。
つまり、ふと立った、ということ。
ふと、と、立つ、というそれぞれの措辞の重量感の相違に違和感を感じました。
ふと、は力を要しない動詞にかかる。見る、思う、など。
対して、立つ、と言うのは力が要る動作。ましてや、卵が、立つ、とうのは、重力に反してまで、立つ、と言うのであるから、よほどの動作。
そうすると、ふと、と言うのは、もしかしたら、詠人についての、措辞と考えてしまうのです。
つまり、ふと見たら、とか、ふと気付けば、とか。
「ふと」が客体についての措辞か、詠人つまり主体についての措辞か、私としては、混同してしまいます。
ふと、が、主体と客体の別を曖昧にしてしまっている気がします。
作者は、たとえば、卵を見ている映像を頭に浮かべ、見ている、そしたら、ふと、気付けば、のような感覚で、「ふと立ちたり」と詠んでしまったのではないでしょうか。
違ってたら、すいません。🙏
拙句について。
句について、いかなる鑑賞するかは読み手の自由。だだし、人の尊厳を損しないかぎりで。
めでかやさんの鑑賞は、自由、の範囲内にあります。そんな恐縮は不要です。^_^
むしろ、どんどん、言ってくださいね。
さて、拙句、心象句です。詩をやってた時から、羊水、好きなんです。
俳句なる世界で、このような句がどのように評価されるのか知りたくて。
まだまだ、俳句の入り口で迷っています。^_^
いや、何年やっても、迷いはあるのでしょうが。
よろしくお願いします。
添削のお礼として、感じさんの俳句の感想を書いてください >>
自選ボツ句です。寒卵が立つ、茶柱ではありませんが縁起が良いと詠んでみましたが中身が薄い、寒卵の持つ強さが出ていない。卵は立っても季語が立っていないですよね。
皆様のご意見を頂けたら幸いです。宜しくお願い致します。