「ボストンで記念写真や寒昴」の批評
回答者 なお
友也さん、こんにちは。体調はいかがですか?
11月に入って、割と気候が安定していると思いますが、またコロナだインフルだと言われていますからお大事になさってください。
さて御句拝読しました。私はどうも、こういう句が苦手なのですよ。なぜか?「ボストンの記念写真や」と言われても、そこに感慨が湧かないからです。まあ、想像を膨らませれば、この作者はボストンに行って、記念写真を撮ったのだろう。それをしげしげと眺めて思い出に浸っているのだろう、とは思います。
ただ、ロマンとか、郷愁とか、何かグッと来るものが無いのです。
あまり厳しいこと言うとまた他の方から色々言われるかもしれませんが、あえて申し上げると、なんだかご自分だけがわかっているような気がします。
これを例えば、
・赤茶けた旅の写真や寒昴
・マスク無き記念写真や寒昴
・記念写真カードで届く寒昴
即吟で恐縮ですが、こういうようなものであれば、何か共感を呼ぶのではと思うのですよ。
ただこれは、私個人の考え方ですので、有名な先生の教えとか、こうしなければいけないということではありません。
あくまで「私の感想」ということでよろしくお願いします。
点数: 2
添削のお礼として、なおさんの俳句の感想を書いてください >>
ホストファミリーでボストンに行った時、皆で記念写真を撮りました。その写真をクリスマスカードにしてみんなに送ったそうで、非常に好評だったそうです。あれからもう18年経ちますが、まるで去年ぐらいのことのように思えます。あっという間に時は流れてしまいました。それでも昴やオリオンと言った星々は、変わらずに夜空に輝いていますね。