「口ずさむ金木犀の咲く道を」の批評
回答者 げばげば
こんにちは。
いつも勉強させていただいています。
万人受け、なかなか難しいテーマですね。
これについても、皆さんの考えがあると思います。
私は私なりの考えでしかないですが。
私は自分が俳句を詠むときに大事にしていることは自分がその句を好きかどうか。
誰かを主眼に置くと、その人の好みに合わせようとかその人はどう思うだろうかということに主眼を置いて詠んでしまうので、いかんせん楽しくない。そしてキャッチーなものを詠んでしまう、これがめでかやさんの言う「万人受け」なのかなあと思ったりします。
私は他の方の句を、「この句好きだわー、情景がありありと届くし、想像の余地があって感情もかきたてられる、しらべもいい!」みたいな句を読んで感動することがよくあるので、まず自分の句が自分にとってそうなるように詠めると、めちゃくちゃテンションが上がります。また、そういうことにアンテナを張って、毎日が豊かになっていくことを楽しく思います。
そして、それが他の方の目に触れたときに、100人のうちの1人でも素敵だなーと言ってもらえると、なおさら俳句で何かが届くなんておもしろーって思います。
そして、それが一人から30人とか増えていくと、自分の好きな句が他の方にもとてもよかったと思ってもらえて、なおさらうれしくなってきます。
長々が来ましたが、私がうれしいのは、
1.俳句をやることによって毎日が潤っていること
2.自分の好きな句が詠めた!ということ
3.その結果他の方に響いたと思ってもらえること
4.何かの評価を受けること
大体1~4の順です。ただ、「万人受け」がキャッチーでありきたりで、マイナスの意味であるなら、それは目指してはいません。
でも、自分が好きだなと思って、外に出した句が、1人でなくて、たっくさんの人に素敵だなあと思うことは外に出す限りは目指したいものです。
つまり
自分の好きを追求することと万人にいいやん!と届くことは両立させられないものなのかなあ??と思ってるということです。最終的にはそうなるとめちゃ楽しいです。まずは一人からですけどね😊😊
長々失礼しました!頑張ります。
点数: 2
添削のお礼として、げばげばさんの俳句の感想を書いてください >>
分かる方は分かるし、分からない方には全く伝わらない。
俳句って万人受けしないといけないんですかねぇ?。
この辺の是非について、ご意見を頂きたいと思います。
この句はアリスの楽曲、君の瞳は10000ボルトの歌詞の一部
”金木犀の咲く道を”を切り取った句になります。
私は金木犀を見るとこの歌詞を口ずさみたくなるんです。
それも毎年のこと。
百人の方に訳分からんと言われても、一人の方が、それっ!って
言ってくれたら嬉しいかな(*^-^*)。