ハロウィンや渋谷にケルト遥かなる
作者 こま爺 投稿日
コメント(俳句の意味。悩みどころ)
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添削一覧 点数の高い順に並んでいます。
「ハロウィンや渋谷にケルト遥かなる」の批評
回答者 イサク
おはようございます。
変遷を思うなら、アメリカの「トリック・オア・トリート」のハロウィンの時点ですでに原型がないようですね。
そこからさらに変形した日本の昨今のハロウィンは、仮装して騒ぐお祭りですね。
下五の「遥かなる」ですが、普通に読むとコメントの意味に取らないような気がします。
むしろ良い意味で「渋谷のはるか先にケルトが見えるようだ」ぐらいの意味に受け取ってしまいそうです。
「遥かなる」が凡人ワードでもありますし、ここを置き換えたほうがよさそうです。
・渋谷にはケルトが足りぬハロウィーン
まあ、いずれにしても説教臭い内容は俳句には似合わないようです。
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「ハロウィンや渋谷にケルト遥かなる」の批評
回答者 鈴屋いるか
駒川さん、こんにちは
ハロウィンもせめて子供がお菓子をねだるくらいのレベルならかわいいものですが、結構な大人が大騒ぎしているのはそれ自体に何か異様な雰囲気を感じますよね
さて、御句ですが私も中下の受け取り方は中々難しいかな、と感じました
個人的にはハロウィンの原型を留めている所なんてほぼない気がするので「渋谷」を削っても問題ないかと思いました
・ケルトには遥かに遠きハロウィーン
・遥かなるケルトを偲ぶハロウィーン
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「ハロウィンや渋谷にケルト遥かなる」の批評
回答者 なお
駒川義輝さん、こんにちは。
御句拝読しました。初読で、これはいい、ハロウィンもこういう捉え方をするならいい感じだなぁと思いました。
というのは、パッと読んで、ハロウィンで、おかしな格好の若者が集まる渋谷に、遥か彼方からケルト音楽が聴こえてくるということかと思ったからです。
私はかつてケルト人のケルト音楽を聴いた記憶があり、とてもいい印象を持っていたので、それと結びつきました。
ご自身のコメントを拝読して、あれま、全然違った、と思いました。確かに、私の受け取り方としても、ちょっとおかしいかなぁという気はしていましたが、作者のその意図はわかりませんでした。
駒川さんのおっしゃるような意味であれば、いるかさんのご提案がよろしいのではないでしょうか。
ただ、「ケルト」が理解されるかという懸念は残りますよね。
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その他の添削依頼
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ハロウィンはケルト人起源のお祭りで、自然と生命エネルギーの崇拝という文化の伝統を残しているらしいです。
一方、渋谷のハロウィンを見聞きすると、それとは程遠い感があります。