「三叉路の参拝客や銀杏の実」の批評
こんばんは。
句の形だけなら悪くないはずなんですが・・・
季語以外の部分「三叉路の参拝客」に微妙に詩や映像が伴っておらず、季語「銀杏の実」との取り合わせが微妙な感じになっているような?
「参道」「銀杏並木」「銀杏黄葉」「道に落ちている銀杏(ぎんなん)」とかの映像がもう少し出てくるといいですねぇ・・・
「三叉路」には映像が少ないというか「道の分かれ方」だけを言っていて、どんな道路か(山道?石畳?舗装道路?車道?住宅街?)を映像化できていない感じがします。
なので「三叉路」を描写するか、「参拝客」をメインにして「銀杏の実」ととりあわせていくのか、どちらかにした方がいいような。
型の練習を完全に無視してしまいますが提案句。
・三叉路の右が参道銀杏の実
・銀杏を踏みて老夫婦の詣
で、前に私のところにコメントをいただいた件。
【「季語が動く」というのは風景が見えていれば生じないのでしょうか】
個人的には「季語が動く」という言い方の曖昧さはあまり好きではない、というのを前提でお願いします(使いますけど)。
風景というよりは「季節感」「季語の選択」の問題だと思っています。
「季語が動かない」は「取り合わせで、その季語がすごく合っている」という状態です。
「季語が動く」というのはみなさん使い方が曖昧で、私が使う時は「他の季節の季語を取り合わせても風景・季節感があまり変わらない」という状態のときにしています。
例えば「春雨や車道に残るみずたまり」という句(即興句です)
風景はある程度見えていると思いますが、「春雨」じゃなくて「秋雨」でも、他の雨の季語でもさほど風景が変わりません。だからこの句は季語が動くと言えると思います。
対策は「季語を変える」「季語でない部分の表現を変える」両方あると思います。
季語を変えるパターン
「秋出水車道に残るみずたまり」(季語の力で映像を出す)
季語ではない部分を変えるパターン
「春雨や車道はやわらかく染まる」(季語ではない部分に、「春雨」という季節に合うような表現を探す)
自分の句の添削、大変でした。
こんな解説で大丈夫でしょうか?
私個人の意見・解釈なので、鵜呑みにせずにご自身で研究してみてください。
添削のお礼として、イサクさんの俳句の感想を書いてください >>
少し遠方にある有名なお寺は三叉路の先に建っています。お寺への道は銀杏並木となっています。参拝客が銀杏をたくさん拾っている姿を詠みました。
「銀杏の実」は「イチョウの実」と詠んで下さい。
よろしくお願いします。