「トイレ掃除素手でしてみる」の批評
回答者 感じ
こんばんわ😃
トイレ掃除をしてみた際、実景として、どこかに「糞」はひっついてなかったでしょうか?
生きている証としての「糞」です。
よろしくお願いします。
点数: 0
添削のお礼として、感じさんの俳句の感想を書いてください >>
作者 森本可南 投稿日
回答者 感じ
こんばんわ😃
トイレ掃除をしてみた際、実景として、どこかに「糞」はひっついてなかったでしょうか?
生きている証としての「糞」です。
よろしくお願いします。
点数: 0
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回答者 げばげば
こんにちは。げばげばと申します。
鷹司さんの自由律チャレンジ拝読しています。
私は有季定型俳句ばかり学んでいて、自由律については浅学なので、多くを語れないのですが、自由律には自由律の良さがあると思っています。
自由律とはいえ韻文なので、内に秘めた調べを大切にしていた荻原井泉水などもいましたが、背後にある教養・文化など、季語文化の共感の力などをすべて捨てて、自分の孤独を謳いあげた尾崎放哉や種田山頭火などは、捨てたことによる圧倒的な詩情が読み手を訴えかけてくるように思います。むしろ後者の二人は、誰かに伝えて共感してもらおうとしていたかもわからない二人かもしれません。
私はどうしても季語の共感で俳句を詠んだり読んだりしてしまうので、それがないと鑑賞に不安を覚えたりするものです。
鷹司さんの句を見ていて、この句が一番気になりました。他の句はどちらかというとキャッチフレーズ、コピー的な印象ではあったのですが、この句は何か悲哀のようなものを感じました。「みる」に作為を感じたので、ただ淡々と遂行している方が好きかもです。ふと気付いてみると素手でやってる自分に気づく感じ。
トイレ掃除素手でしてゐる
すいません。自由律のことをあまりわかってない身でいろいろ書きました、鷹司さんの方がお詳しいかもしれませんし、何か訴えたいことがあるのに、げばげばというヤツはよくわかってないなあと思われるかかもしれませんが、せっかく道場に投稿されたので、私なりにコメントを書いてみました。
この道場に来られる方は、比較的私と同じで、有季定型を中心に句を詠まれる方が多いので、もしかしたら、鷹司さんが期待するような感想や添削が返ってこない可能性もあるかもしれませんが、ご了承ください。コメントをスルーしてるというより自由律に浅学でわからないということの方が多いのだと思います。
ということで、また気になる句があればお邪魔します。
点数: 1
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回答者 エイジちゃん
こんばんは。
「筆の花」の句へのコメント、ありがとうございます。
季語「筆の花」は以下でご確認ください。
https://kigosai.sub.jp/001/archives/2013
それから、自由律俳句の尾崎放哉や種田山頭火の句は「青空文庫」で読めますよ。ちょっとさみしい心持ちになりますので、体調が悪いときは読まないほうがいいかな。
宜しくお願いいたします。
点数: 0
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じゆうりつに、ちょうせんしてみました