「死神が咄に聞き入つてゐて月」の批評
回答者 なお
長谷機械児さん、こんにちは。
再訪です。
私の鑑賞力の無さが恥ずかしい。
げばさんのコメントを拝読して、なるほどと感動しました。
しかしげばさんは、どうしてこんなに見事な鑑賞ができるのでしょう。悔しい(笑、汗、涙)。
最後の「ゐて月」もわかりました。「いて月」との違いが今頃わかりました。
本当に、しかしこんなこと、他では絶対に学べませんね。
長谷さんの素晴らしい追悼句とげばさんの解説にお礼を申し上げます。有難うございました。
点数: 1
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お題「月」。六代目三遊亭圓楽追悼。
高座を見たのは一度だけ。六代目襲名のとき(新宿末廣亭だったと思う)で、そのときの演目が「死神」でした。
死神にアジャラカモクレン…テケレッツのパッと呪文を唱えれば退散するのだが、今回は退散しなかった、という句意で作り始め、
【初案】死神に呪文とどかず宵の月
…噺家の追悼句にしては捻りが無くて寂しい。そこで、なぜ呪文が効かなかったのだろうという方向へ。都会の死神が、電車通勤のサラリーマンみたく、イヤフォンを着けていて周囲の声に気づいていない(呪文も聞こえない)、というイメージに変化。それなら、イヤフォンで聞いているのは落語だろう、ということでこの形に。
六代目襲名の公演に協力した歌丸さんから「来るのが早い」といじられているに相違ない。