「秋茜舞う高原に響く歌」の批評
回答者 なお
友也さん、こんにちは。
御句拝読しました。色々なところを訪問して色々なご経験をなさっていますね。それも日本国内に留まらず、とても国際的ですね。
なんだか最初は、友也さんは入院なさっているか、あるいはそうでなくてもなかなかご不自由なのかと思いましたが、それは私の思い過ごしだったでしょうかね。失礼しました。
いずれにしても、色々引き出しが多くてうらやましいと思います。
ただ、本句もそうなのですが、えてして、「こんなところでこんなことをしましたよ」「こんなところにはこんなことがあるのですよ、ご存知ですか?」とような句が多いような気がします。
それはそれで読む方は、「へえ、そうなんだ。すごいなあ」とは思いますが、それは知らない国や知らないことの説明を受けているからであって、詩や風情に感動するのとは別の話になります。
友也さんには、例えば外国であれば、そこに何があるとか、何をしたということだけでなくて、「だから私はこう思った」ということを、その「何」で表現してほしいのです(わかりますか?)
例えば、「グアム島には戦車の残骸がある」。友也さんの句に出てきそうですが、これをそう報告説明するだけではなく、それを見てどう思ったかを、グアム島の戦車の残骸を通して語りかけて欲しいのです。
それには季語の力に頼るといいと思います。
一例で上手く出来ずすみませんが、
・グアム島朽ちた戦車に大夕焼
とか。
うーん。だんだんわかりにくくなってきましたね。なぜ戦車?となりますよね。本句で説明すればいいのに。
本句、秋茜はいい季語です。今日私は山の日なので山を歩いて秋茜たくさん見ました。
その高原に響く歌を聴いて、友也さんが何を思ったかを知りたいなぁ。それは秋茜に託されているのかなぁ。
・高原のフェス最終日秋茜
全然違ってきてしまいました。急行電車の中でだんだん疲れてきたのでこの辺で失礼します!
点数: 2
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このページに来てくださり、心から感謝します。初秋になったとはいえ暑い日が続いておりますが、どうぞご自愛ください。
これは、八ヶ岳高原音楽堂について詠んだ句です。標高1,500mにあり、音楽の透明度も高まります。ジャズピアニストの小曽根真やヴォーカリストのサラ・オレインなど、有名なアーティストも来ます。そして標高が高いので今の時期でも秋茜が見られるそうです。
「秋茜」「高原」「歌」これは要素が多すぎるでしょうか。あと平凡過ぎないでしょうか。
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