「死を願う友に生きよと向日葵が」の批評
回答者 なお
友也さん、こんにちは。
御句拝読しました。死を願うという
ご友人。ご心配になる友也さんのお気持ち、いかばかりかと拝察します。
非常に重いテーマではありますが、思ったことをお伝えしますね。
原句ですが、悪くないと思います。これを向日葵が「言う」とか「励ます」とかまで言ってしまうと、擬人法になり、「本当に向日葵はそう思っているのかな・・・」ということになってしまいます。
しかし御句はそこまで言っておらず、「向日葵が」で止めている。あとは読み手に委ねている。これは私は悪くないと思うのですよ。
さて、私の提案句です。私は、出だしから「死を願う」はちょっと重たすぎるので、「絶望の」と詠み替えさせていただきました。
・絶望の友よ向日葵咲いてるぞ
久々に「なおじい句」(古い人はご存知)が出てしまいました(笑)。
ご友人に友也さんの思いが通じますように。
点数: 1
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私には死にたがっている友人がいます。彼を必死で励ましているのですが、彼には私の声が届きません。神様は見捨てないよ、生きていてよと伝えたくて、この句を詠んでみました。
クリスチャンにとって向日葵は「従順」あるいは「忠誠心」、また「熱い信仰心」の象徴です。キリストのように向日葵は、あなたを励ましているよと彼に言いたくて詠みました。
批評と添削をしていただければ幸いです。
よろしくお願いします。