「初雷や手話のただよふ教会に」の批評
回答者 なお
こんにちは。げばげば様、いつもお世話になってます。
拙句にいつも励ましの提案有難うございます。明日への希望につながります。
御句拝読しました。私は、初読でまず「ただようではないだろう。飛び交う、かな」と思い、コメントを拝読。そうしたら、作者自身が飛び交うではないと。
そこでわかりました。「飛び交う」は、手話を知らない者の感想。そうでなくても、その場にいた者にとっては、飛び交うという感想は起こらないのでしょう。
なぜなら、手話は、ろうあの方々にとっては普通の会話。飛び交うには、それを物珍しげに見る健常者の目があります。「行き交う」ならまだいいと思いますが、「ただよう」は、その場にいた人の心に沁みた感想ですね。
げばさんがただようを選んでくれてよかった。教会ですしね。初雷とも響きます。腕上げたなぁ。
当然このままいただきます。
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このあいだ、初めて行った手話賛美という会の実景でした。私は教会の人あわけではないのですが。
手話の飛び交う、ではないのだよなあ、ただよふ、じゃないかなあ。
みなさんご意見よろしくお願いします。