「革靴の底にも満てる淑気かな」の批評
回答者 なお
こんにちは。ちゃあき様、いつもお世話になってます。
御句拝読しました。恥ずかしながら私、「淑気」という季語を初めて知りました。毎日新しい季語と出会い、新鮮な感動です。
身の回りの至る所に新春を祝うめでたく和やかな雰囲気が立ち込めているということですね。勉強になりました。
そして御句、「も」が効果的ですね。革靴の底にまでも、その淑気が満ちていると。
新年を寿ぐ気分は、確かに世界中どこにでも広がっている、それは確かにそうですが、人により、地域により、なかなかそうとは言えない場合があろうかと思います。
ただ、そんな感情で「淑気」を否定しては、俳句の意味がありませんのでそれはしません。
御句は、「淑気は至る所に満ちている。山にも海にも」ということは肯定したうえで、「そしてこんな私の「革靴の底」のような、瑣末なところにまでも」とお詠みになっていらっしゃる。わざわざ「革靴」と詠んだ作者の心根が、人生が伝わってくる、いい句だと思いました。
点数: 1
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ホワイトカラーからブルーカラーに変り16年になろうとしています。正月や冠婚葬祭以外では革靴を履くことも無くなりましたので掲句。「も」は辺りにも満ちているが靴の底にもという「も」です。必要ですよね?でもこれ実景ではありません。空想なので淑気でなく主観が満ちてるかも。御意見よろしくお願いします。