「二十三時四十五分が大晦日」の批評
回答者 なお
こんにちは。長谷機械児様、いつもお世話になってます。
御句拝読しました。ちょっと意味がわからず、コメントでわかりました。確かに、あの「紅白」から「ゆく年くる年」への切替え(落差)はすごいですね。かつては古関裕而さんが紅白の最後に、「蛍の光」を指揮していたような…。今から思うとすごいことですね。
我が家も、息子たちが家にいた頃は、大晦日というと格闘技とかお笑いとかばかり観ていて。私は紅白が観たいのに無力でした。「コイツらが居なくなったら思う存分紅白を観てやる…!」とか思ったものですが、いざいなくなるとつまらなくて、紅白もほとんど観ていません(笑)。
さて御句、私は最初、二三四五と並ぶ面白みを狙ったものかと思いましたが、特にそういうことはないようですね。失礼しました。面白い句です。
長谷さんの句やコメントの感想は、「冷静」「理論派」、まさにこの二点ですが、両方とも先のお二方に言われてしまいました(笑)。同感です。ですので私は「まさにおっしゃる通り」というのを感想とさせていただきます(変な感想?)。
来たる年もよろしくお願いします。良いお年をお迎えください。
点数: 1
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お題「大晦日」。
蛍の光の余韻をぶったぎり、除夜の鐘の中継映像に切り替わる時間。その一瞬だけのために、普段寝ている時間も起きている(“年守る”というほど起きているつもりはない)。その一瞬までは、毎年毎年、普段より退屈なだけの一日。
ですが、他の方の句を見る限り、世間では大晦日というものがそれほど退屈でもないようなので、“退屈”な言葉を句の中に入れないようにしました。
それではみなさん良いお年を。