「母の愛感じて美味し卵酒」の批評
回答者 ちゃあき
追伸。提案句ができましたので・・・
・熱いからふうふうしてね卵酒
子供の頃、熱い飲みものを飲むときなどに「火傷しないようにちゃんとフーフーして飲むのよ」って母親によく言われたものです。
点数: 0
添削のお礼として、ちゃあきさんの俳句の感想を書いてください >>
作者 よした 山月 投稿日
回答者 ちゃあき
追伸。提案句ができましたので・・・
・熱いからふうふうしてね卵酒
子供の頃、熱い飲みものを飲むときなどに「火傷しないようにちゃんとフーフーして飲むのよ」って母親によく言われたものです。
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回答者 げばげば
こんにちは。
いつも勉強させていただいています。
御句。「愛」「感じる」「美味い」このあたり、とても感情にあふれた句ですね。感慨深いなーーと感じます。
一方で、「卵酒」といえば連想されることは?と10人に質問すると、9人から「母の愛情を感じるおいしいもの」と返ってきそうではありませんか?だとすると、上五中七は「卵酒」という季語に含まれている「季語の説明」という気がしたりもするのです。
もし私が詠むとしたら、「母の卵酒」だけにして、「愛」「感じる」「美味い」は省けるので、他のことができないかなあとやっていきます。イサクさんのように、愛情を「甘すぎ」と表していくの、うまいですね。
また、これは共通の認識ではないかもしれませんが、なんだったら「母」を登場させなくても、「卵酒」とみると、「母」まで含まれてそうな。それは言いすぎかなー。「父」も「祖母」もあるかー。でも、そういう場合だけ「父の卵酒」と書くようにします。そうでないときは、「母」がよぎるのでは?と思って省いておきたい派です。「風邪ひきの枕元に卵酒」、とかにしたらと、そりゃ「母」ですよね、って思っちゃうということです。「母」じゃなくて意外と父なんですよーというときだけ「父」を登場させたりします。もちろん好みです。
ということで、卵酒以外の12音で何をするかによって、「愛」と書かなくても、母の愛情が倍増させられるような気がするわけです。そして、その方が「愛」と直接書いた時よりも、読み手の想像をくすぐる佳句になっていくのでは?と思ったりします。禁止項目はないようですが、自分で詠む日記書き留め句ではなく、投稿して誰かに読んでもらう句にするときには、読み手が想像して楽しめる想像の余地というのを意識して直接的な主観的な措辞は極力省いて詠みたくなるのかもしれません(^▽^)/そして、おー光景が想像できますねー、いい句ですねー、とかいう言葉がいただけると、やった!うまくいった!と思うわけです。書く・書かないのバランスって難しいですよねー。私もしょっちゅう失敗しています(*'▽')
点数: 2
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回答者 ちゃあき
山月さん、こんばんは。僕も最初の頃は何でも詰め込んで出来るだけ読み手に伝えようとして逆に自分の感情を押し付けるようなものばかり作っていました。添削してくれる人が誰もいなかったので、自分の句がいいのか悪いのか分からず手探り状態でした。こちらへお邪魔するようになってちょうど一か月になりますが、なおじいさん、イサクさん、げばげばさんなどの親切で丁寧なアドバイスを頂きながら少しずつ俳句
の面白さや奥深さが見え始めて来たところです。お互いに頑張りましょうね!
点数: 1
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回答者 イサク
こんにちは。
お気持ちはいっぱい入っている句ですね。
前のコメントの例でいえば、この句の場合は「美味し」が感想の表現です。
それも理由が「母の愛を感じたから」ということで、共感はできますがあまり具体性のない理由なので、「美味い」という感想がリアリティを伴いません。
「母の愛を感じた」については、「感じて」という説明を入れたくないかなあ・・・と思いました。
・母の愛と砂糖を入れて卵酒
・カップには母の愛入り卵酒
個人的な好みでは、「愛」という言葉も省略して「愛情」を表現したいところですが・・・ちょっとこだわりのポイントがズレますのでそちらは気になさらず。
・母作るちょっと甘すぎ卵酒
点数: 0
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回答者 なお
こんにちは。よした山月様、いつもお世話になってます。御句拝読しました。
他の方のコメントと提案句で時間かけている間に、げばさんに満点コメント書かれてしまいました。悔しい(笑)。
もう何も言うことはないのですが、それではつまらないので、重複覚悟で私もお伝えします。決してマネではありません(笑)。
以前にもお伝えしましたが、よしたさんはとても感受性がお強いので、色々なことをお考えになり、後から後から感情が湧き出てくるようです。
それは素晴らしいことで、羨ましくさえ感じます。俳句に限らず、全ての芸術において大切なことではないでしょうか?
しかし、同じように大切なことは、それを適切にコントロールすることなのだろうと思います。特に、長編小説ではなく五七五しかない俳句の場合には、例えば十(じゅう)感動したら、一つの句にはそのうちの一つだけを詠み込むというようにしたいです。複数ではなく。
一方、これは上級者ですが、その一つの感動を伝えることにより、読み手にさらに大きな感動を与えられたら素晴らしいと思います。
なんだか私はよしたさんのご投句に文句ばかり申し上げているようで恐縮ですが、今回も、皆さんご指摘のように、御句には思いが溢れています。その結果、何も伝わらない句になってしまうということはあるのです。
厳しい言い方をしますと、「母の愛を感じない美味しくない卵酒」なんて、ないのです。
母の愛を感じるのはいいですし、美味しいと感じるのもいいのですが、俳句の場合は、直接そうは言わないで、読み手がそう感じるように書きたいです。例えばですが、「温かい」とか「甘い」とかでもいいと思います。それだと映像・光景が浮かんで、想像の手助けになります。しかし「母の愛感じて美味し」では、作者の頭、心、舌だけのことになり、読み手に伝わらないのです。
私も初心者なのに、偉そうに厳しい事ばかり申し上げてすみません。でも、よしたさんのその感受性は素晴らしいので、うまく表現さえできればとても魅力的な作句が可能と思います。
これからもよろしくお願いします。
点数: 0
添削のお礼として、なおさんの俳句の感想を書いてください >>
優れた添削・批評は日本俳句研究会の記事として、転載、引用させていただく場合がございます。ご了承ください。
よろしくお願いいたします。
昔は具合が悪くなったり、病気をすると
普段はお小言の多い母が、優しくしてくれるのが子ども心に嬉しかったものです。
卵酒の甘温かさにもホッとして楽になった気がしたものでした。
アルコールしっかり飛ばしてくれていたのだろうか💧(笑)
「母の愛」他者の気持ちを推察??ですが
肉親の言わずもがな信じられる気持ちだから
この場合は大丈夫ですよね???!