「朝霜の上に散りたる白き花」の批評
回答者 イサク
再訪します。
季語&季重なりについては、いろいろ方のいろいろな意見があります。
私なりの考え方になりますが
・基本は一句一季語。一句一季語を目指す。 (←重要)
・季語を使って比喩した場合、季語としてみなさない場合が多い(「薔薇のような美しさ」など)。そのような季重なりは比喩とわかるように描写する。
・季語以外の言い方ができないか、どちらか外せないか再度検討する。
例えば「焚き火の焼き芋」「プールの浮き輪」のように意味が近い季語同士は、削っても想像できる範囲です。
・「気づかずに季重なり」はしないようにする。するなら意図的に(←自分的に重要)
・それでも敢えて複数の季語を使う場合
◆主役の季語を決めて、そちらが強く出るように構成を検討する。
◆「そこに存在するもの」の季重なりは気になりにくい。
今回は「霜」「山茶花(の花弁)」が重なっている景で、どちらもそこにあり、文字で示さないと句の受け手は存在に気が付きませんのでやむを得ず。
◆「秋の風鈴」「冬のキャンプ」「春のプール」など、複合季語化して明確に季節のわかるものは、さほど気にならない。
◆「秋雨」「野分」「朝寒」「夜長」など「いかにもその季節を示す」という季語同士の季重なりはたぶんうまくいかない。
◆季節感の異なる季語同士はうまくいかない場合が多い。
今回は「花びら」とすると春の季語っぽくなってしまうので避けました。
◆「この句は季語がふたつあるからダメ」と言われたら受け入れる。(←極重要)
最近はこんな感じで遊んでいます。
うまく文字にできない範囲でもう少しいろいろ考えています。
とはいえやはり、基本は一句一季語ですね・・・
点数: 1
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朝の霜の上に、白い山茶花が散ってました。先程だったのでしょう。白に白ですが綺麗です。