「言葉無く手を振る友の冬の駅」の批評
回答者 げばげば
こんにちは。
再登場失礼します!
うなじの風の句も「や」が悪かったわけではないとは思ってました。「うなじの風」というのは違和感で、「うなじへ風」が吹いてきたのがいいかなあと。
うなじへ風や冬紅葉
もありです!
うなじへ風を感じた。カットが変わって、ざあーと冬紅葉の景色が広がる感じです。「の」を「へ」にするだけもありでした!
一方で、この風は冬紅葉が舞う「冬紅葉の風」じゃないか?という発想もあります。
「うなじへ冬紅葉の風」が吹いたという方が詩的ではないかという発想です。
本句はどうでしょう?
友の冬の駅
は友達のいる駅、というイメージ。
友と冬の駅
は今友と駅にいますという場所のイメージ。
どちらも友とあつこんさんのいる場所の小さな画面の駅なんです。
友や冬の駅
にすると、手を振る友人の光景からカットが変わり広い冬の駅の光景が映し出され、手を振った友が見えなくなって、広い画角になって、残ったメンバーとあつこんさんと、そして家路を急ぐサラリーマンと早口の駅アナウンスと、寒い中の白い息と、コート着た人いきれと、すべてが映し出されて、さよならした友人との思いが、季語の力で倍増する気がしませんか?なので、「や」でカットを切りたいと思ったのです。
私も助詞の使い方いっつも悩みます。見せたい光景は助詞によって変わると私もこの道場で何度も教えていただきました😆奥深いです!だからうまく届いたときはうれしいですよね!
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添削のお礼として、げばげばさんの俳句の感想を書いてください >>
緩和ケアの友人が、強い痛み止めを処方してもらって、帰省しました。仲間数人で他愛無い話をして、列車を見送りました。
たぶんもう会えないでしょう。そういう年齢ですから。寂しい話ですが、言葉でのこしたいのです。
「友と」と「友の」で迷いましたが、そこではないのかも?