「秋時雨戸口で主待つ杖一本」の批評
回答者 イサク
こんばんは。
「杖が主人を待っている」というところが擬人法ですね。
擬人法の問題は奥が深くて・・・いろいろ想像はしているのですが、「擬人化が生きているか」「擬人化である理由があるかどうか」というところまで深く気にする先生が多いようです。
という意味で御句を受け取ると、この句は擬人化が失敗しているとは思いません。
ただ、玄関の杖や傘が「主人を待っている」というのは、先人たちのありふれた表現ですので、指摘されるとしたらそちらかも・・・
「杖一本」に関しては「杖ひとつ」よりは、この句では良いと思います。
数詞は日本語としての規則を優先しつつ、詩ですから雰囲気次第というところもありますね。
全体では、擬人化も含めて中七「戸口で主待つ」が窮屈になっています。
げばげば様のように擬人化をやめるか、なおじい様のように数詞をやめるなどして、句の流れを作ることをお勧めします。
・玄関に夫の杖かな秋時雨
点数: 1
添削のお礼として、イサクさんの俳句の感想を書いてください >>
杖は主人の物の意味だけど、
他家に誰か訪問したようにも思えるか?
杖一つにしたいけど、数える決まりがあるかとも思いました。