「居場所なき教室の隅渡り鳥」の批評
回答者 なお
こんにちは。らりこ様、いつもお世話になってます。
以前、御句のコメントに行き詰まって出直しますと言いました。出直してきました。
御句、その心境、情景わかるような気がします。私の場合はそんなに深刻ではありませんでしたが、辛い人は辛いでしょうね。
「居場所なき教室の隅」、よく知りませんが尾崎豊さんはこんな歌を歌うのではないですか?
・教室の窓見上ぐれば鳥渡る
・気がつけば一人の教室鳥渡る
・教室に一人残れば鳥渡る
・会話なきクラスに一人鳥渡る
なぜみんな「渡り鳥」とせずに「鳥渡る」としたかというと、個人的感覚ですが、「鳥渡る」だと「私もあの鳥のように、自由に空を飛びたい。飛んでどこかへ行きたい」という抒情的な意味を感じるのですが、「渡り鳥」だと、ともすると「きちんとした居場所を持たない=住所不定の」という意味合いが出てしまうような気がするのです。
ですから、御句は、らりこさんが、この意味で「居場所のない私はまるで渡り鳥のようだ」と詠んだのであればバッチリなのですが、句意はそうではないですね?
「こんな居場所のない教室を出て自由になりたい」という意味ですよね。
これがどれほど参考になるかわかりませんが、また新しい句を見せてください。お待ちしてます。
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学校の教室には居場所なく、教室の隅にさえ居づらい。渡り鳥みたいに飛んでいきたいと思ってる様子を表現したいんですが、なんか違う様な