「提灯の撤去の朝を鳥渡る」の批評
回答者 幸福来々
コメント失礼します!
本句、お祭りのあとの朝を思い浮かべました。
季語「渡り鳥」によって、昨日まで出店を出していた人が日常にもどることの一時の安堵感と次の祭り現場へのやる気みたいなものを感じました。
また、『提灯の撤去』が、撤去してる人の背景や気持ちが想像しやすくて、がいいなと思いました。
仮に、お祭りの提灯と読まれなくて、店舗の提灯と読まれたとしてもこの句が持つ感慨は薄れないと思います。
私がいくら頭を捻っても、渡り鳥を祭りの後に飛ばすことはできないなぁと尊敬します。
助詞についてですが、「時間空間+を+季語」は季語が活き活きとする気がするので、季語にとって良いステージが用意できたときの「を」が個人的に好きです。
が、私なら「を」を選択する場合、季語は「渡り鳥」を使います。
「を」は時間と空間をその先の名詞に与えてくれるということになるので、一気に風景が広がるような鑑賞に誘導されるからです。
また、「を」は動詞を省略した形になりますので、読まれる風景はそのままだけど、その名詞の描写に焦点が当たりやすいと思います。
動詞の着地の場合は、物より事・動作に焦点があたりやすくなるため、動作に思いを馳せる形になるかと思います。
ただ、「や」を選んだ場合なら、「鳥渡る」を使います。
これは曖昧な理由ですが、「を」がないと「渡り鳥」の飛んでる様子がなんか想像しづらくなる気がするためです。
飛んでる必要がないなら、「渡り鳥」でもいい気がします。
点数: 1
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兼題で。
ウチの地域はだんじりやら布団太鼓やら。今年はないですが。青年団や保存会で秋の祭りの翌朝の撤去作業、まさに祭りのあとの静けさに渡り鳥。
中七「や」と迷いつつ。読み下すか切るか。
みなさんご意見をよろしくお願いします。