「苺摘ゴンドラ取れし観覧車」の批評
回答者 74
こんにちは。長谷機械児さん、コメントありがとうございます。
山間の打上花火の句は、単にお題が打上花火だったのでデートのことを思い出して詠んだのです。山あいの打上花火の何とも良い響きの音はそう書いたら伝わるだろう、という「見た場所」の描写でした。海や川の花火もまた良いものですが、そのときは山あいの地域で見たというそれだけです。
投句前は揚花火などの言葉を知らず、またあまり詳細に思い出して描写するのも気恥ずかしく…という仕上がりになりました(笑)
提案句はデート感が強いですね!浮かれてる気持ちに沿うように花火が次々と上がっていそうです。
御句拝読しました。
一読した時点では事故のニュースか何かかとヒヤヒヤしますね。単純に、「ゴンドラ取れし」を「ゴンドラ外し(す)」としたら解体か点検中と伝わりませんかね?
苺摘みというとビニールハウスでのあの体験かつ食べ放題な苺摘みのことと思うのですが、その状況と観覧車の解体の取り合わせは視覚的には無理があるような気がします。苺を摘める所から観覧車が見える実景だったらすみません。
中七下五が観覧車の解体(を見学している)場面として変えられないと思うので、上五の季語を取り合わせやすい時候・天候などから選びたいです。見ているそばの植物もいいのかもしれません。ただ、それは想像の句では難しいかもしれません…
無人駅・観覧車などのチャレンジ面白いですね。今後もよろしくお願いします。
点数: 1
添削のお礼として、74さんの俳句の感想を書いてください >>
私がこれまでに子どもの頃に唯一乗ったことのある観覧車(回数にして2~3回)は、解体・撤去され既に存在しません。遊園地そのものが閉園して、ただの広場に変わってしまったので。閉園というニュースを見聞きしたのが春で(さっき検索して調べました。3月に閉園したのことでした)、その年の盆休みで帰省したときには、ジェットコースターや観覧車のあったのがきれいさっぱり無くなっていました。
過去に乗った経験の記憶をそのまま俳句にしても「夏休み母は乗らない観覧車」みたいな夏休み宿題俳句にしかならない「観覧車」俳句。観覧車が無い風景や、撤去される途中の姿(想像になるけれど)ならどうにかならないか、と作ってみました。
秋天にかつてはここに観覧車
観覧車が視界から消えた景色からこんな句を作ってみましたが・・・、これは下五を「無人駅」「秘密基地」に変えても成立しないか(季語でなく“凡人ワード”が動く句?)。消えた何かを「偲ぶ」句になってからのありきたりフォーマット突入というところでしょうか。
それで、撤去途中の姿(想像。原色塗装されたゴンドラが外されていって色気の無い骨組みだけに・・・)で作った句を挙げてみます。観覧車の撤去時期である夏の季語から「苺」を選んで、五文字にして上五に措いてみたのですが、これは「摘」の一字で、対比と言うより比喩のようになってしまい、なおかつ「即きすぎ」でした(ゴンドラは「カゴ」、苺摘でも「籠」)。
上五の季語を別の物にしたら、ありきたりフォーマットの「秋天に」よりはマシな物になるような気がするのですが。