「研ぎ上げてまずはトマトを真二つに」の批評
回答者 イサク
聞かれましたので再登場です。解説のため長文失礼します。
★前置きです。私の才能限界により「苦笑い」を肯定する流れになりますが、「苦笑いが最高!置き換えられない!」などとは思っていません。「苦笑い」よりベターな語があれば置き換え可能、という前提でお読みください。
その1。
◆まず知世様が何かを勘違いされている気がしますが、「笑う」「泣く」「にらむ」などの表情のアウトプットは、感情に関係ない事実ですよね?これらは「描写」です。
◆でも「笑う」=楽しい、「泣く」=悲しい、ではないですよね。これらの感情表現はどうしても「説明」になりがちです。
(たとえば「子らが楽しむ」など風景のような描写とするならアリですが、「君楽しむ」はちょっと断定に過ぎますよね・・・やるなら「君楽しさう」とか?)
(あえて「原爆忌悲しみながら笑ひけり」などわざと感情に寄り添うなら、それはそれでアリかも・・・)
私の句の「苦笑い」は表情です。そして内心は説明されておりません。ですが、受け手のみなさんは内心を想像して補ってくれているようです。
わかりにくければ、私の句でトマトを受け取ったのは実は自分じゃありません!赤の他人です!全部観察!あの人苦笑いしてる!と思って見なおしてみてください。
その2。
「苦笑い」と知世さん提案の言葉などを入れかえてみます。簡潔に比較するために音数調整しません。
◆『おばちゃんにトマトもらって抱えきれない』
◆『おばちゃんに善意のトマトをもらった』
・・・事実の描写が増えて、トマトを受け取った側の表情が見えるような描写がなくなりました。何か足さないとそもそも句意が違う・・・
◆『おばちゃんにトマトもらって独り身に生モノ』
・・・これは極端には悪くないのですが、「困る状況」を理屈で説明しようとしすぎていますよね・・・
◆『おばちゃんにトマトもらってありがた迷惑』
・・・これがいちばん普通の文章ですね。簡潔に「説明」してしまっていると思います。おそらくこれが最も「散文的」で、想像の余地が少ないです。普通の文章なので意味はよくわかります。
◆『おばちゃんにトマトもらってそのまま隣家へ』
◆『おばちゃんにトマトもらったの忘れてた』
・・・例えばこれらなら諧謔と感情は出ますか?あまり俳句らしくないですが。
という感じです。
最初に書きましたが「苦笑い」が絶対の正解というつもりもなく、描写=正義みたいになってもおかしいので、あくまで私の中の作句の手法のひとかけらということでご理解ください。
こう言ってるそばから、また「言ってること違うじゃん」という句を作りますので・・・
点数: 1
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トマトのことをあれこれ考えたことなかったのでこの機会に向き合えたら。
勿論「包丁」を研いでトマトを切っているのですが、やはりちゃんと句の中に入れた方が入れた方が良いでしょうか。
あと夏感はあまりないですよね。
切れ味の悪い包丁でトマトがぐちゃぐちゃに…というのも考えて、そうするともう少しトマトの存在感が出るかなと思ったのですが、なんだかそんなのばかり俳句にしてる気がしたので爽やかさを重視しました。