「カルピスの最後の一滴夏終わり」の批評
回答者 なお
こんにちは。黒猫様、いつもお世話になってます。
拙句「あきらめよ生家跡地に夏の草」ご評価有難うございました。
この句は、生まれ育った土地を遺産相続の関係で手放した時のものでした。
すでに生家は解体され更地になり、雑草が生えてきている。上五の「あきらめよ」には、自分で自分に言い聞かせている意と、夏の草に姿を借りた周辺の人物から「いつまでも未練持つな。ここを売ると言ったのはお前だろう?」と責められているような、そんな気持ちが詰まっていました。
いただいたコメントのほとんどがそのようにご理解くださいましたが、中にはうまく伝わらず、これを私の「あきらめる」という決意表明のように受け止められた向きもあったようです。私の表現力不足です。
さて、御句「あきらめて山頂を背に御来光」。いい句です。
山では「あきらめる」こと、すなわち中止の勇気が必要です。黒猫さんの「あきらめて」は自分の決意を書いていますよね。よくわかります。
「あきらめる」という措辞は力が強く、誰が何をあきらめるのか明確でないと誤解を招く場合があります。私のあきらめよは命令形なので、「誰から誰に何をあきらめるように言ってるのか」が重要であるにもかかわらず、それを明示せず、読者の方々の想像に委ねてしまったのですが、黒猫さんのは、どう見ても、自分の意思決定です。わかりやすい。御句では誤読の心配はないでしょう。
冒頭の「あきらめて」と「山頂を背に」という措辞で、山頂まで行けなかった無念さが少しにじむものの、「これで十分。だって、見れなかったわけじゃなくてこんなにきれいに見ることが出来たのだから」という満足・安堵のお気持ちがより表れています。佳句です。
従って提案句などありませんが、御句に影響を受けた詠み替えをいくつか置かせてください。
これも良し山頂を背に御来光
九合目輝き同じ御来光
マイペース四方を照らす御来光
黒猫さんはこの、山頂には到達しましたか?私は初回こそ山頂で御来光を拝みましたが、二回目は間に合わず、八合目で拝みました。三回目は余裕で登頂しましたが、天気が悪くて真っ白、でもこの時はご朱印が目的でしたのでドンマイでした。
点数: 3
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子供のころは夏といえばカルピスでした。
「夏終わり」よりもっといい表現がありそうな気がします。