縁側やグラスのむこう揚花火
回答者 イサク
こんばんは。
「泡花火」に関する話はみなさんがしてらっしゃるので、そちらを。
季語に関する話もだいたい出ていますね。
単語を極力変えずに俳句として成立させるには、こんな感じでしょうか?という句を置いておきます。
風景はかなり変わります。
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作者 かずゆき 投稿日
回答者 イサク
こんばんは。
「泡花火」に関する話はみなさんがしてらっしゃるので、そちらを。
季語に関する話もだいたい出ていますね。
単語を極力変えずに俳句として成立させるには、こんな感じでしょうか?という句を置いておきます。
風景はかなり変わります。
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回答者 なお
かずゆきさん、こんにちは。
御句について感じたことをお伝えしますね。
まず、「泡花火」について。
花火には、夏の夜空高く打ち上がる美しさ、華やかさ、豪快さ、けれど一瞬で終わってしまう儚さ…。そんなイメージが浮かびます。季語は、そういう景色の全てを持ち合わせたすごい存在で、これを私たちは「季語の力」と呼んでいます。ですので、俳句
を作るときは、単に季語をどこかに入れればいいということではなく、その季語の持つ力を十分に引き出すことが必要になってきます。
その点で、かずさんの「泡花火は造語です。グラスの中の泡が花火のようだった。夏の季語。」というのは、どうでしょう、ちょっと違うかな、と思っていただけましたか?
私の提案句ですが、どうせなら比喩(たとえ)でなく、本当の花火を出してしまおうと。ただ、本当に目の前で花火が上がるのでは詠み替えも乱暴に過ぎるかと思い、「遠花火」という季語を持ってきました。これは、目の前には花火は見えませんが、音が聞こえる。どこかで花火が上がっているようだ…という風情です。目の前の花火とはまた違う、なんとも言えない情緒があり、縁側とか冷たい飲み物と響き合う気がしませんか?
グラスの中で弾ける泡に遠くから聞こえる花火の音が重なって、そこはかとない味わいが出てきました。
もちろんこれは私の趣味で、正解とかではありません。このサイトのいいところは、一人の絶対的なお師匠さん(宗匠)がいて、その人の言うことは絶対だ、ということではなく、みんながみんなの作品を評価し合うというところです。ぜひ私の拙句も批評してください!
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回答者 かぬまっこ
こんにちは(*^^*)
はじめまして、かぬまっこと申します。花火は炭酸の泡の例えなのですか。季語を例えに使うと季語の力が弱まると言われます。
炭酸ではなくビールの泡かと思いました。花火を見ながらビールを飲んでいる景色です。
また、「で」の音が気になりました。「に」や「の」の方が響きがきれいなのではないでしょうか。推敲の参考になれば幸いです。m(__)m
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回答者 げばげば
こんにちは。かずゆきさん。
はじめまして、げばげばと申します。
御句拝見しました!
縁側で飲むビール?ソーダ?ハイボール?これは至福の瞬間ですよね。
俳句は無駄な言葉を省くのが難しいです。きれいだなと書かずにきれいだなと思わせようとしているので、GOODです。「覗く」は必要か検討の余地ありです。「見ている」から花火だなと思ったわけなので省略可能です。
やはりこれは無季かもしれません。
「花火」が季語としての力としてとても弱いです。かぬまっこさんがおっしゃるられていましたが、季語を比喩として使うときは気をつけないといけません!
ビールやサイダー、ソーダ水と書いてしまうと季語になりますし、
縁側にこだわるのなら、夏の縁にするのもよいかもしれません。
また「端居」というとても素敵な季語もあり、夏の風通しのいいときに縁側などにいることを表しています。
夕端居炭酸の花火のごとし
として、季語を「夕端居」の方に持ってくるというのも一つの手です。
それでも、類想感はまだ抜けません。俳句に比喩を用いるときは、いやー、そうたとえるかー、そのタイプの比喩は驚き!という独創性が必要だということで、私もよく失敗します。俳句の比喩は奥深いです。
2作目も楽しみにしています!
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優れた添削・批評は日本俳句研究会の記事として、転載、引用させていただく場合がございます。ご了承ください。
炭酸の泡が弾ける様を花火に例えてみました。泡花火という言葉自体は造語です(多分)。
添削サイトに投稿するのは初めてなので、是非様々なご意見たくさんいただけると幸いです。