「止まれてふ七月尽の標識ぞ」の批評
回答者 74
げばげばさんこんばんは。いつもコメントありがとうございます、励みになります。
まともに観光らしいことをしたのは平泉中尊寺と天鏡閣、あと⑧で他はほとんどドライブによる景観を楽しむ旅でした。一周が本当に一筆書き一発勝負といったありさまで、もったいないようなあれはあれで良い思い出のような…
誰もいないなぁという実景と漂う物寂しい雰囲気を混ぜて「人影のなき」に行きつきましたが、何か見たものを描写してそれを表せたのではないか?と悩んでいます。愁いを感じたと素直に詠むのもひとつの手ですよね。自分ではなかなか気付けない視点でコメントして貰えて勉強になります。
げばげばさんの勉強熱心で挑戦を続けている様子、尊敬しますしこちらも刺激を受けて励みになりますね。
御句の光景をどう読み取るか…「止まれの標識」と「七月尽(陰暦6/30?)」しかないですよね。読み手それぞれで様々な光景が膨らみますね。
道路標識の止まれは進むための左右確認安全確認せよという指示ですよね。俳句の道も度々立ち止まり振り返りおさらいしてからまた次の季節へと進みましょうという意気込みを読みましたが…車の故障などのために常備してるであろう、ハザードとして出すあの赤い三角の標識ですか?それだけが道路にあったら見慣れなくて戸惑いますよね…
だから七月尽なのですね。確かに実景を詠んでいるのに勝手に意気込みの句と解釈してしまいました。でもどちらでも成立していてすごいですね。
「ぞ」はこのままの方がげばげばさんのらしさが出ていて好ましいです。
点数: 1
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描写習作のはざまの句。七月尽と標識。
光景は今日仕事の帰り道に見た赤い三角だけしかない。止まるの?止まらないの?
推考前は上六に七月尽がいたが、調べも意識して掲句に、語順はどうなんだろう。七月尽は陰暦なのでもう少し先かな。終助詞「ぞ」はいかに。
うーむ、どんな風にお届けできているのだろうか?
みなさまご意見よろしくお願いします。