「旗棒をつゆ離すまじ夏茜」の批評
回答者 卓鐘
「旗棒をしかと離さぬ夏茜」の方が良いのは皆様のご意見と同意です。
それよりちょっと気になったのですがなぜ「旗棒」なんですか?トンボがなんかの旗の棒のところにとまるってちょっと特殊な状況な気がするので気になり。枝とか普通にイメージできるものじゃいけなかった理由というか。
(みなさんから指摘などなかったので、なんか僕がわからない状況があるのかもとは思いつつ。)
ただ、トンボがじっと動かない様子を描写する一物仕立てとしては「しかと離さぬ」ではまだまだま描写として緩いと思います。(私ができるかと言われるとできないですけど^^)もう一点、夏茜でないといけない理由も悩ましかったです。赤蜻蛉、秋茜では何故ダメなのか。ただ、確かに、赤とんぼや秋トンボだと哀愁の方が出てしまって、夏であることには一定必然性はあると思いました。
点数: 1
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あの細い細い足だからこその力強さを感じます。旗が風でバタバタなっても、たじろぎもせずに。
中七を「つゆ離すまじ(けっして離すまい)」という夏茜側の想いとして描写するのか、「旗棒をしかと離さぬ夏茜」のように、こちらが見たままの描写にするべきか、後者は切れもなく流れていくようで、悩みました。みなさまいかがでしょうか?ご意見いただけるとありがたいです。