「江ノ電の海の沖へと陽炎へり」の批評
回答者 はちこ
私は永き日ののんびり感がよく合ってるなーと思ったんですけど、うーん難しいですね。となると、短夜とか目借時なんかも合いそうだけど、近いのかなーとかいろいろ考えました。ご丁寧にありがとうございました。
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作者 よし造 投稿日
回答者 はちこ
私は永き日ののんびり感がよく合ってるなーと思ったんですけど、うーん難しいですね。となると、短夜とか目借時なんかも合いそうだけど、近いのかなーとかいろいろ考えました。ご丁寧にありがとうございました。
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回答者 イサク
おはようございます。
すいません、句意がよくわかりません。俳句的に誇張されているのはどこでしょうか・・・?
おそらく助詞と語順と、他にも何か問題があるようで、
・「江ノ電の海」「の」「沖へと陽炎ふ」? 「江ノ電の」「海の沖へと陽炎ふ」?
どちらで詠んでも句意が掴めません。他の意図がありますか?
・「の」に頼りすぎ、という点があります。
・「陽炎ふ」しているのは「江ノ電」?「海」?
・「海の沖」という並びも、句をわかりにくくしている要素だと思います。「江ノ電」「沖」といえば「海」は当たり前なので、句意が変わらなければ「海」は削れます。
句意を推測して、提案句として置いておきます。それぞれ句意が違います。近いものはありますか?
・江ノ電や海は沖へと陽炎へり
・江ノ電や海は沖から陽炎へり
・江ノ電や沖まで出でて陽炎へり
点数: 2
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回答者 負乗
よし造さん、こんばんは🙂
拙句「ゴールデンウィークに」への御批評ありがとうございました。草の名を覚えることぐらいしか、今年はやることがないのです😅
御句ですが、陽炎が、どこで起こってどうなったのか、の景が浮かんできません。それと、「海の沖」という措辞もどうかなと思います。
上五は、他の方も指摘されているように「や」で切ったほうがいいかなと思いました。
点数: 2
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回答者 かぬまっこ
おはようございます(*^^*)
江ノ電に乗ったことのある、かぬまっこです。
江ノ電「沖」とあれば「海」は省けると思います。
また、気になったのが「陽炎へり」と季語陽炎を動詞のように使っていることです。しかしながら、歳時記
で例句を調べたところそのように使っている句もありました。
ギンヤンマの如く豪華に陽炎へる
川端茅舎
よるべなき遠景ばかり陽炎へり
馬場移公子
点数: 1
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回答者 かぬまっこ
またまた、失礼します。
私もイサク様と同じく意味がよく掴めませんでした。一読した時にイサク様の添削のように「江ノ電や」と切ってはどうかと思いました。しかし、この句は江ノ電が沖まで陽炎っているのかと…。ということはもしかして蜃気楼と間違っているのではないでしょうか。
陽炎と蜃気楼を取り違えているのではないでしょうか。
江ノ電の沖へ行くなり蜃気楼
点数: 1
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回答者 秋沙美 洋
よし造さん、こんにちは。
僕は皆さまよりは悩まずに映像が入ってきました。
光景的には、遠くから江ノ電を見ている詠み手、江ノ電の背景には海、そして海に溶け出すかのように江ノ電がユラユラしている…そんなイメージ?
「海」「沖」のどちらかは不要、という意見には賛成です。助詞も少し変えたい所ですが、この辺りは個人の好みかもですね。
点数: 1
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回答者 はちこ
江ノ電の海、そして沖まで映像が広がっていて雄大ですね。視線を戻して手前の道路から陽炎が昇り海へ向かっていると解釈しました。
点数: 1
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むろん俳句的誇張ですが、そんな感じがなくもない。