俳句添削道場(投句と批評)

なおじいさんの添削最新の投稿順の1129ページ目

「幼少のわれも小さしちちろ虫」の批評

回答者 なおじい

添削した俳句: 幼少のわれも小さしちちろ虫

こんにちは。負乗様、いつもお世話になってます。

御句を拝読して、私は亡くなった母を思い出しました。母は真冬の生まれにもかかわらず夏には強く、その分、秋になるとテンションが下がりました。それは若い時から、すなわち私が幼少の頃からで、コオロギが鳴くような季節になると、「あーやだやだ、あの声聞くと気が滅入るよ」とか「悲しくなるよ」みたいなことをよく言っていました。私の小さい頃の記憶にすでにその言葉は残っています。

そんな時に、私は何も母に言ってあげられなかった。小さかったこともありますが、私も夏が大好きでしたから、コオロギの鳴き声などを聞くと、同じようにメランコリックになってましたから。

私がもう少し大人であれば、「虫の声を楽しもうよ、涼しくなって楽になるよ」「紅葉が楽しみだね、どこか旅行に行こうか」とか「これから食べ物が美味しくなるね、何か食べに行こうか」とか言えたのでしょうが、私も小さかったので、そんな如才ない言葉が出るはずはありません。
秋を楽しめるようになったのはそれから何十年も経ってからですー。

負乗さんの句意とは全然関係なかったかもですが、小さい頃のことを思い出させてくれる句でした。有難うございました。

点数: 1

「バッタ跳ぶただ我から遠き方へ」の批評

回答者 なおじい

添削した俳句: バッタ跳ぶただ我から遠き方へ

こんにちは。ダック様、いつもお世話になってます。

御句、何かの俳句サイトでボツになった句ですね。それがどういうサイトなのかわかりませんから評価のしようがありません。俳句サイトで、入選したければ、選者の好みをよく研究して、その選句傾向にあった句を詠むことだと思います。

御句の感想と提案句を置かせていただきます。「厳しくしてください」とのことですのでそのようにさせていただきます。
俳句は十七音の文学ですが、合計で十七音であればいいというよりも、可能な限り五七五の定型で詠むことが肝要と思います。これは江戸の昔から引き継がれている要点だと思います。それが読みやすく最もリズムがいいからでしょう。
まず掲句:
「バッタ飛ぶただ我から遠き方へ」
五六六になってますね。「我から遠き方へ飛ぶ」ということは「逃げた」だけの話です。この句はそれを「ただ」と入れているとはいえ仰々しく言っているだけですね。

・バッタ飛ぶひと飛び毎に離れゆく

次に「きちきちや着地地点の蝉骸」
バッタが飛んで降りたら蝉が死んでいた、という設定は面白いです。ただ、そこに訴えかけるものがないですね。蝉は死んでいるようでも結構どっこい生きているのですよ。地面に仰向けになっていても。少なくてもまだ地面に死骸があるということは、まだ夏です。秋ではないですね。そこにバッタが飛んでいくからおかしなことになるのではないですか?要するに季節感を描いているようで混在しています。きちきちを出すのならもう蝉は忘れましょう。死骸でも出さない。

・きちきちや着地地点のアスファルト

最後に
「飛蝗暴れる駄駄こねる吾子に似て」
七五五の破調句ですね。破調が悪いというわけではありませんが、それ専門の句会でもない限りは、五七五の方が高評価を得やすいと思います。ただ、どういう句会あるいはサイトか知りませんのでなんとも言えませんけど。

提案句は五七五でまとめてみました。
・駄駄つ子のごとく暴れる飛蝗かな
・吾子に似て飛蝗暴れる駄駄こねる
・駄駄こねる子と暴れたる飛蝗かな

ご参考になれば幸甚です。

点数: 0

「秋風や乱れがちなる山の雲」の批評

回答者 なおじい

添削した俳句: 秋風や乱れがちなる山の雲

こんにちは。久田しげき様、いつもお世話になってます。
そうですか、朝日俳壇には投稿なさっていませんでしたか。
全然関係なかったですねー。
最近、この添削道場で、他の俳句サイトがどうしたこうしたという話ばかり出るので、ちょっと気になってお尋ねしただけです。
ご放念ください。失礼しました。

点数: 0

「官報に記事多き日や九月尽」の批評

回答者 なおじい

添削した俳句: 官報に記事多き日や九月尽

こんにちは。長谷機械児様、いつもお世話になってます。

御句、官報ですか。俳句投稿サイトで官報が出てくるとは思っても見ませんでした。と言いますのは、前職では官報掲載に関わっていた時期もありましたが、およそ詩情を感じない、実務だけのお堅い情報誌だと思っていましたからです。
御句ですが、「九月尽」という季語ですが、これは単に九月最終日というだけではなく「ああ、色々なことがあった九月も今日で終わりか…。まだ夏の名残があったけど、もう明日からは十月。本格的な秋だな。もう今年も残り少ないな」とかを思う季語だと理解していました。
長谷さんの句が、単に「9月30日付の官報は四半期・半期の締め日なので記事が多い」というように、「九月尽」を日付としてしか見ておられないのであれば、それはいかがなものかと思うのです。
しかし長谷さんのことですから、その特別多い記事の一つひとつに、企業の盛衰とかを思い、本格的な秋の訪れを感じていらっしゃるのだと思いました。だからこその「九月尽」だと。

ただ私の提案句は、
・官報の記事多き日や台風過
・官報の記事多き日やそぞろ寒
等、「9月30日」から離れてみました。

私が携わっていた官報掲載は、ほとんどが電子公告に代わりました。懐かしいです。

点数: 0

「秋の灯やにいにいを追ふペダルの音」の批評

回答者 なおじい

添削した俳句: 秋の灯やにいにいを追ふペダルの音

紀州鰹節さん、こんにちは。初めまして。
御句の感想と提案句を置かせていただきます。

御句、幼い兄弟が自転車で遊ぶさまをお詠みになったのですね。微笑ましい情景ですね。
何点か、気が付いた点をお伝えします。
「にいにい」ですが、弟が兄を呼ぶ時につかいけど、ここは「にいに」ではいかがでしょうか。「にいにい」では蝉のようですし、「にいに」なら一音稼げます。響きとしても、ジージーよりもジージ、バーバーよりもバーバのほうが聞こえがいいのと同じと思います。
「ペダルの音」、ですが、古い自転車ですとギコギコと音がしますが、最近のものは割と静かで、後ろから近づいてきて脇を追い越していかれる時など驚くことがあります。
「秋の灯や」。上五に戻りますが、きれいないい季語でおそらく実景なのだろうと拝察します。私の感覚だけかもしれませんが、この季語だと、もう結構暗くなっているような気がします。そうしますと、幼い兄弟が自転車で遊んでいるという景色に合わないように思います。
この子たには、明るい秋の空の下で遊ばせてあげたいと思いました。もちろん、「明るいうちからさんざん遊んで、暗くなってきたから帰るのだ。お兄ちゃんから帰ろうとしたから弟が待って〜と追うのだ」ということかもしれません。
余計なことであれば、この季語のくだりは忘れてください。

さて、私の提案句ですが、
・秋日和にいに追いかけ踏むペダル

紀州鰹節さんの句意と違ってしまいましたらごめんなさい。年寄りの一つの意見とお読み捨てください。

これから夕餉ですが、このコメント書いていましたら、今夜はお豆腐に鰹節かけて食べたくなりました。そうします(笑)。

点数: 1

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