「楽しさはやがて寂しき焚火跡」の批評
回答者 卓鐘
添削した俳句: 楽しさはやがて寂しき焚火跡
こんにちわ。
「芭蕉の句を真似て作って見たけどこの句はどういう評価?」という問いかけという前提で書きます。というのも、いろいろわかってて遊んでるだけだと思うので。遊びとしてはいいと思いますので。
1)芭蕉と同じとなる
名句の型をここまで使っちゃうと、基本それがチラついてしまい先行句があり新規制はないよねという評価になります。そして比較され、(大抵は超えることができないから名句なので)残念な結果になります。
2)芭蕉の句について
「さまざまな事思い出す桜かな」もそうですが、「おもしろうてやがて悲しき鵜舟哉」は、この簡素かつ抽象的な表現で、見事に、季語の本意全ての本質を包み込んでいるところに凄みがあります。
鵜飼というのはショーになるくらい面白い一方で、生命の習性に抗えない鵜、そしてそれを利用している人間があります。それをたったこの17音で全てを伝えきってしまっている。
3)御句について
「楽しい」は焚き火のごく一部の捉え方かなと思います。その点で芭蕉の凄みからは劣ります(劣るのはしょうがないけどもろ比較されちゃう形になりますので)。あとは、「焚火跡」ですね。「跡」と言っちゃうと焚き火は終わった寂しさだけが残っているので、「楽しさはやがて」がかなり時間軸を持ってしまい、説明になってきます。「焚火かな」にすれば、「楽しさから寂しさ」に変わる瞬間の描写になりますね。また焚火跡に対しての「寂しい」は一番出てきそう形容であることも「跡」が損してますね。
改めて言いますが、この句の評価は?という問いへの回答というだけなので、あえてやっている遊びとしては面白いと思います。
楽しさのやがて寂しき焚火かな
※「は」はこの句ではちょっと強いので変えた。
これであれば、芭蕉を忘れれば、そこそこ良い句とは思います。
点数: 2