「秋暑しラップの端が見つからぬ」の批評
回答者 卓鐘
添削した俳句: 秋暑しラップの端が見つからぬ
こんにちわ
まだ考えてない。どうしようかな長き夜。
確かに理屈感はありますかね。
長き夜を嗚呼二杯目のカップ麺
2音足りない時の嗚呼 笑
点数: 1
回答者 卓鐘
添削した俳句: 秋暑しラップの端が見つからぬ
こんにちわ
まだ考えてない。どうしようかな長き夜。
確かに理屈感はありますかね。
長き夜を嗚呼二杯目のカップ麺
2音足りない時の嗚呼 笑
点数: 1
回答者 卓鐘
添削した俳句: カップ麺ひとつじゃ足りぬ長き夜
こんにちわ
まだ考えてない。どうしようかな長き夜。
確かに理屈感はありますかね。
長き夜を嗚呼二杯目のカップ麺
2音足りない時の嗚呼 笑
というのをゲバさんところに書いてしまった
点数: 0
回答者 卓鐘
添削した俳句: 追憶の声のやうなる秋風鈴
こんにちわ
僕もまだまだまだまだ修行中の身なので、正直聞かれてもわからんってところですが、せっかくなので今の僕に感じれることを徒然と書いて見ますね。
一句全体をかなで包み込む様な使い方が基本となることは間違いないと思います。とはいえ基本であってルールでもそうしないといけないわけでもなんでもないです。そんなことに縛られているだけではつまらない。全てがケースバイケース。
失敗しやすいかなの使い方ではあるので、効果を確信できない初心者は気をつけた方が良いというのはあります。
では、
纜の引き合ふ力餓鬼忌かな
この句を少し鑑賞してみます。少し荒れた川でしょうか。桟橋に纜を結んだ船。夜を思います。波にゆれる船を桟橋が纜で引き止めて軋むそんな様子を引き合う力と表現しています。
それが我鬼忌であることをおもうと、土砂降りの雨かもしれない。纜が陸と川にながされた先の境界であるように、これは現実と虚構、正気と狂気、生と死、我と鬼そんな狭間でギリギリの引き合う力なのかもしれない。そんなことを妄想させられます。
一回、引き合う力でしっかりと映像を鮮明に植え付ける、そしてそんな餓鬼忌であるということをかなで詠嘆して余韻をもたせることに効果があると思います。
忌日季語で、よくある方はその忌日をものに託す方法。つちやさんの提案などの、餓鬼忌の排水溝みたいなやり方ですね。
でもこの句にそれをやっても元の句の良さはでません。また、狭間を引き合う力が重要なため語順も変えられない。
纜の力引き合う餓鬼忌かな
とやってみると、なんだか元の力は薄れますね。
そんなふうに思いました。あまり答えになってなくてすみません。
点数: 3
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