俳句添削道場(投句と批評)

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「枯芒主を探す秋田犬」の批評

回答者 ハオニー

添削した俳句: 枯芒主を探す秋田犬

「主を探す」を指摘しないといけないのは確かです
「主を探す」というのは、作者自身の脳内にあるストーリーです
そのストーリーを想像させたのは、犬のどのような様子や行動によるものなのか...
上を目指すならばそこを描くべきです

枯芒という季語は、そういった様子を詠んだとのことですから、私はそこに手をつけません
しかし、「すすき」という季語の傍題を見て、一番近い季語を厳選するのは必要かと思います

枯芒でもいいですが、「芒原」で場所だとハッキリ分からせた方がよさそうです
「芒」はひらがなを敢えて使います

首回りは禿げ秋田犬すすき原

捨てられたのなら首輪を取られたはず
首輪をしていたのならば首回りは毛があまり生えていないはず
そこを切り取りました

これなら、「もしかしたら主を探しているのかも」と感受性の強い読み手は想像してくれるかもしれません
そのように読み手を楽しませるよう、描写を調整するのが俳句の腕を磨くということなのです
別の句になってしまったかもしれませんが...

点数: 5

「測量の技師の肩にも落花かな」の批評

回答者 ハオニー

添削した俳句: 測量の技師の肩にも落花かな

この句、「にも」と「かな」の使い方は善戦しているのです
その反面、これでいいのか?という選択でもあるのです
悩み抜いたであろう表現は、いいといえばいい、惜しいといえば惜しいのです

「かな」に、この技師の背中から漂う哀愁を託そうとしたことは読み取れました
「にも」に、お花見なんて程遠い彼らでさえ桜が散っているのだと気づかされたというような感じと、作者自身もそうであるという感じと、2つ可能性があると思いました

しかしその2つをはずさないと、別の可能性は追えません

「ら」で複数にした方が賑やかさが出ます
その賑やかさが落花という季語の持つ寂しさと響き合います

テーマが落花だから言いづらいですが、「飛花落花」という季語の方が桜の散る様子としては美しいです

これが私の提案です
測量の技師らの肩へ飛花落花

これだと、家族を背負っている感じはしなくなりますね
その分、季語が主役に近くなってはいると思うのですが

点数: 3

「枯芒主を探す秋田犬」の批評

回答者 腹井壮

添削した俳句: 枯芒主を探す秋田犬

塩豆さん、こんばんわ。いつも御世話になります。この句からはやはり捨てられた犬を想像してしまう読み手は多いと思います。そして酔いどれ防人さんの仰る通り枯芒では季語が不自然な気がします。

万緑や主を探す秋田犬

もし捨て犬を冷静に描写したかったのであればこういう季語の斡旋もアリだと思います。それと質問の件ですがここで発表しても二重投稿にはならないと私は判断します。ただし、ここを含めて不特定多数の人が見られる場で発表した句は「発表済み」と判断します。それを回避するため季語を変えたり語順を変えたりすればいいかどうかは内容や作者の判断に任せられるのではないでしょうか。

点数: 1

「測量の技師の肩にも落花かな」の批評

回答者 塩豆

添削した俳句: 測量の技師の肩にも落花かな

酔いどれ防人さんこんにちは!塩豆です。
いつもありがとうございます。
測量士の逞しさ、脆さ、労働の苦しみ、喜びなどの複雑な両面価値を想像しました。
すごくいい俳句だと思います。
「かな」で締めくくって「落花」に焦点が当たるのも効果的です。いやはや、ホント流石、すごいです…。
もしもですが測量の技士を測量士するなど調節し、空いた文字数でもう少し追加の情報を加える事ができれば尚良くなると思います。

点数: 2

「蜘蛛の糸飛びて住み処の葎かな」の批評

回答者 腹井壮

添削した俳句: 蜘蛛の糸飛びて住み処の葎かな

百合子姐さん、こんばんわ。いつも御世話になります。かぬまっこさんの季重なりの御指摘、ハオニーさんの「かな」の使い方の御意見は仰る通りでしょう。しかし、蜘蛛の習性や生態を無視して芥川龍之介の「蜘蛛の糸」「藪の中」の合わせ技に走るのはリアリティがありませんね。そのような理由でこの句に関して私の力では添削の余地がありません。最近は誰かに強制されて仕方なく詠んでいるような句が多いような気がします。

点数: 1

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