「枯芒主を探す秋田犬」の批評
回答者 ハオニー
「主を探す」を指摘しないといけないのは確かです
「主を探す」というのは、作者自身の脳内にあるストーリーです
そのストーリーを想像させたのは、犬のどのような様子や行動によるものなのか...
上を目指すならばそこを描くべきです
枯芒という季語は、そういった様子を詠んだとのことですから、私はそこに手をつけません
しかし、「すすき」という季語の傍題を見て、一番近い季語を厳選するのは必要かと思います
枯芒でもいいですが、「芒原」で場所だとハッキリ分からせた方がよさそうです
「芒」はひらがなを敢えて使います
首回りは禿げ秋田犬すすき原
捨てられたのなら首輪を取られたはず
首輪をしていたのならば首回りは毛があまり生えていないはず
そこを切り取りました
これなら、「もしかしたら主を探しているのかも」と感受性の強い読み手は想像してくれるかもしれません
そのように読み手を楽しませるよう、描写を調整するのが俳句の腕を磨くということなのです
別の句になってしまったかもしれませんが...
点数: 5
添削のお礼として、ハオニーさんの俳句の感想を書いてください >>
枯芒の茂る中で秋田犬が主を探している様子を詠みました。ひょっとすると主はもういないかもしれない、といった想像も人によってはされますか?
それからここでする質問では無いかもしれませんが、ここで発表した俳句を一般応募のコンテスト等に出すのは二重投句になるのですかね…?