俳句添削道場(投句と批評)
慈雨さんのランク: 師匠551段 合計点: 1,770

慈雨さんの俳句添削依頼

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坂道を登る三月十一日

回答数 : 12

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三月やクロスワードの空いたマス

回答数 : 57

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要望:厳しくしてください

春っぽい駅でわたしも春っぽい

回答数 : 45

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子守唄しづかに終へていぬふぐり

回答数 : 45

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献花置く雨は霙となりにけり

回答数 : 29

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慈雨さんの添削

「サッカーやゴール神業世界沸く」の批評

添削した俳句: サッカーやゴール神業世界沸く

再々訪失礼します。
イサク様からコメントいただきました。歳時記によっては冬の季語として載っているものもあるとのこと、大変失礼しました。

その上でコメントさせてください。
まず細かいことですが、「三苫」ではなく「三笘」ですね。今回はコメント欄なのでさほど気にならないですが、前回は句の中にモロに出ていたので、注意したいです。

作者はサッカーが好きなんだな、というのはよくわかります。ただ厳しく言えば、それ以上の感想は出にくい印象です。
①「神業」「世界沸く」など感情が前面に出すぎている、②三段切れ、③「ゴール」「神業」と同じような内容のことを続けていて勿体ない、④「ゴールシーン」と「見ていた人の反応」の両方を描写していて無理があるーーといったところが気になります。

俳句は淡々と、客観的に描写した方がかえって感動が伝わると思います。
・サッカーの伸びた脚から決勝点
・蹴り上げた球はネットへ冬夕焼
・一ミリの生みし得点冬青空
句材が難しいので、あまりいい提案句ができないですが…少なくともゴールシーンだけ描けば、サポーターの反応は読者が想像してくれます。
全部説明するのではなく、一番描写したいところに特化して描写し、読者を信じることを意識しましょう。
またよろしくお願いいたします。

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「杖つく吾を追い越せぬ人花の昼」の批評

添削した俳句: 杖つく吾を追い越せぬ人花の昼

おかえさきこ様、こんばんは。
何気ない1シーンで、人の優しさを感じる佳い句ですね!

なかなか一句に収めるのが難しい情報量ですが、さすが上手く作られているなと思いました。勉強になります。
ただやはり情報が多い分、五七五でリズムよく読みたいので、先の皆様が使われている「杖の吾」がいいですね。

あらちゃん様がコメントされているように、「追い越せぬ」だと「追い越したいけど追い越せない」というニュアンスになってしまうので、後ろの人も足が悪いのかな、と誤読されそうです。
「追い越さぬ」…「吾」を使っているので、歴史的仮名遣い「追ひ越さぬ」が合うかな?

素敵な句でした!またよろしくお願いいたします。

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「教科書に名前を書くやチューリップ」の批評

添削した俳句: 教科書に名前を書くやチューリップ

るる様、こんばんは。
すごく勉強されていますね!

「や」については先にお二人がコメントされているのと同感です。
俳句は「コト(動詞)」よりも「モノ(名詞)」を描写した方が韻文らしく成功しやすいので、「名前を書く」→「書く名前」がいいかなと。
「や」を使うなら
・教科書に記す名前やチューリップ
みたいな形にしたいです。

取り合わせの距離感は私も勉強中ですが、御句、いい感じだと思いました!
教科書に子どもの名前を書き、いよいよ新学年だなぁと思いつつ、庭に咲いたチューリップを眺めているような映像が浮かびます。
さらに連想すれば、新しい教科書もそれぞれカラフルで、チューリップと同じように色とりどりなのかな、なんてことも考えられますね。
(もしかしたら、上級者の方は「チューリップ→かわいい、子ども」は容易に連想できて近すぎるーーと考えてもう少し遠ざけるかもしれませんが)

コメントにある「教科書に名前を書くや入学式」は間違いなく近いですね。
上五中七で「入学か進級だな」とわかりますので、下五「入学式」に新鮮味がなくなってしまう印象です。

仮に「教科書に名前を書くや潮干狩」とかですと、「潮干狩りをしながら教科書に名前書いてるの?」と意味不明な句になってしまい、季語が「遠すぎる」印象かと思います。たぶん。

「そんなことわかってるよ!」と怒られそうですが、長々失礼しましたm(__)m
またよろしくお願いいたします。

点数: 0

「山こへて子猿の嬉々と入学す」の批評

添削した俳句: 山こへて子猿の嬉々と入学す

ヒッチ俳句様、こんばんは。
「春の蝶」が掲載されていたのは「新歳時記」(平井照敏編・河出書房新社)です。おそらく、ゆきえ様も同じ歳時記を参照されていると思われます。
ただしこの歳時記の解説にも「春以外は、夏、秋、冬の名をつけて区別している」との記載があり、なぜ「春の蝶」を季語と見なしているかはわかりません(もしかしたら高野素十の句があるから?)。
高野素十がなぜ「春の蝶」としたのかはネット上でも色々考察がされていて、興味深いですね。
この辺の俳句談義も楽しそうですが、ひとまずご回答ということで、よろしくお願いします。

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