俳句添削道場(投句と批評)
もんこさんのランク: 師匠129段 合計点: 504

もんこさんの俳句添削依頼

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虹色が好きと言う子やソーダ水

回答数 : 2

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夏浅し風になりゆく叔母の声

回答数 : 2

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歳時記に亡父の文字あり春夕焼け

回答数 : 2

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黄水仙夢に入れたし香りかな

回答数 : 5

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山桜手押し車の母に降る

回答数 : 12

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もんこさんの添削

「捨てるよな陶器の皿にラフランス」の批評

添削した俳句: 捨てるよな陶器の皿にラフランス

めいさま
「羽たたむ」へのコメントをありがとうございます。
秋蝶の「恍惚」がどうして分かったのか?とのご指摘ですが、わかったのではなく、そう見えた(感じた)ということでした。

御句
自己評価や存在価値に対する深い思いを感じます。

無価値なものへ価値のあるものを乗せる自分は価値がない。対比のような矛盾のような感じですけど、そのことによって、ちゃんとどちらも存在している確かさ。そこに価値を感じます。

点数: 1

「秋時雨長柄の傘をたたみけり」の批評

添削した俳句: 秋時雨長柄の傘をたたみけり

なお様
いつもありがとうございます。
「羽たたむ」の拙句にコメントいただいた「貌」については蝶の貌に特別な表情を見出したみたいな意図があったのですが、やはり人の意見は聞いてみるものですね、「秋の蝶」の方がスッキリします。
なお様からいただいた添削句を参考にして自分が感じた「されるがまま」の瞬間を思い出して句を詠んでみたいと思います。

御句
秋時雨の季語のしっとりとした侘しさと長柄の上品さの対比。
しかも「たたむ」のですから。
これが秋時雨に対する動作としてどう響くのか?
やり過ごすのか?それとも秋時雨の侘しい一滴の美しさを味わうのか?

響きそうな感じはするのですが、詩的景が浮かびません。

秋の美しい紅葉を素敵なご婦人と見ている、止みそうで止まない秋時雨、ご婦人に差し掛けた長柄の傘からは、少し冷たい雫。
ご婦人が肌寒さを感じているだろうと、通りかかったタクシーをとめて、ご婦人を乗せる。
なお様はタクシーを見送り長柄の傘をたたむ。

というか、なお様は傘をたたんで一緒にタクシーに乗ってご婦人を送った方がいいですね。
このご婦人とはどういう関係なのだろう?

きりがないので止めます。

なんだか申し訳ありません。

またどうぞよろしくお願いいたします。

点数: 1

「梨を剥くたびざりざりと音のして」の批評

添削した俳句: 梨を剥くたびざりざりと音のして

ヒッチ俳句さま
いつもありがとうございます。
「羽たたむ」へのコメントに「恍惚」の表現についてのお尋ねがありましたので。
秋蝶の静かで弱弱しい動きに、朽ちてゆくことへの儚さを感じ、その姿が恍惚と見えたということです。
添削いただいた句、ありがとうございます。

御句
梨を剥く動作や音だけで何も言ってない。
言わないことで生まれる余白に想像が掻き立てられます。
言いたいことを言うために「言わない」という選択、とても勉強になります。

ざりざりとただざりざりと梨を剥く

またよろしくお願いいたします。

点数: 1

「天高く昇る竜虎は今何処」の批評

添削した俳句: 天高く昇る竜虎は今何処

頓さま
初めまして、もんこと申します。
拙句「羽たたみ」への丁寧なコメントをありがとうございます。
皆さんのコメントや頓さんのコメントを読みました。詳しくはわかりませんが、奥様のご病気、ご心配なことでしょう。

初学とおっしゃりながらも細やかなご指摘、ありがとうございます。
「貌」についてですが、字余りを解消すべく推敲をしたいと思います。
秋蝶の羽をたたむ姿に何かしらの「貌」つまり朽ち行くものの哀れや趣を表現したいという思いがありました。その姿が恍惚という言葉に現れれば良いなと、思いましたが「じっと動かぬ」というような表現のご提案も参考にさせていただきます。

御句は、なんだかいろいろあるようですのでコメントは控えます。

私もまだ1年半の初心者です。
ここの道場の方々に育てていただいてます。

指摘していただけること、教えていただけることは本当にラッキーなことと思います。
どうぞこれからも去ったり戻ったり、去ったり戻ったりしても良いので、要は響く俳句を詠めるようになりましょう!!

点数: 1

「梨剥くや来世の生を思ひつつ」の批評

添削した俳句: 梨剥くや来世の生を思ひつつ

あらちゃんさま
拙句「羽たたみ」へのコメントをありがとうございます。
字余りにしてまで「貌」を入れる効果はないというご指摘、本当にそうですね!
添削いただいた句、参考にさせていただきます。

御句
梨を剥くというごく日常的な行為の中で、来世のことを考える味わい深いですね。
他の方のコメントにもありますが、私も「来世の生」に重複を感じました。
が、待てよ、その一方で来世を生きるの「生きる」は「そこで再び生きること」を強調するために意図的な重複かな?とも思いました。

またよろしくお願いいたします。

点数: 2

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