イサクさんの俳句添削依頼
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イサクさんの添削
「朝ぼらけ鎮守詣でや冷ゆるなり」の批評
添削した俳句: 朝ぼらけ鎮守詣でや冷ゆるなり
おはようございます。
まず、わたしは「先生」「師匠」「大御所」などと言われると不機嫌になるタイプですので、それは伝えておきます。
私の句は、基本前書きなしでそのまま汲み取っていただければ大丈夫です。
俳句は、誰の句でも、フラットに受け取るのがマナーだと思っています。
その上で推敲の提案があれば添削コメントをお願いします。
今回は「仰ぎ見ると言わなくていいのでは?」と言いたいのはコメントから察しますが、その先がなくて残念でした。
「前書きなしでは理解できない」という句を出した場合、そのようにコメントされてもいいのですが、今回の句は前書きがない方がよくわかる(わかりやすすぎる)句だと思いますが・・
コメントからひとつだけ。
「多くの方に、なるほど等と理解されなければ、俳句とは言えないのではないでしょうか?」
不尽様の俳句論はハードルが高いですね?!
不尽様の俳句論として、そう思うのはご自身の自由です。ですがご自身が「多くの方」に入ってなければ「俳句とは言えない」と切り捨ててもよいとお考えでしょうか?少し心配な一言でした。
点数: 1
「松林図屏風を抜けて時雨かな」の批評
添削した俳句: 松林図屏風を抜けて時雨かな
おはようございます。
提案句だけ置いていきます。
・松林図屏風や街はいま時雨
二句目は反則気味。二重切れ字を使う度胸があれば。
・松林図屏風や街は時雨れけり
点数: 2
「ポケットはことばの岸辺神渡し」の批評
添削した俳句: ポケットはことばの岸辺神渡し
おはようございます。
詩の言葉を意識して入れているのはわかります。
意識しすぎて、ことばが漠然としすぎてしまい、結果、ふわふわしすぎて意味がわかりにくい句になってしまったと思います。
どんな映像を浮かべたらいいのか?
特に「ことばの岸辺」が比喩ですが、その比喩を受け取る先がないのではないかと。
◆まず初手。作者の意図から、助詞一字の変更を提案します。
「ポケットそのものがことばの岸辺」なのではなく、「ポケットの中にことばの岸辺が入っている(入れた)」とすれば、少しは想像の余地が増えるのでは。
・ポケットにことばの岸辺神渡
◆本命のアイデアとしては、句の中に「スマホ」を入れてしまう案(たとえば鈴蘭様の案)に大賛成です。一気に年代や人物の年齢・服装などが想像しやすくなると思います。
「ことばの岸辺」が「スマホ」にかかれば、一気にエモい比喩っぽくなります。
◆次点アイデアとして、人物像を出して映像を補助するというのは考えられます。
この場合、「ことば」は削れないので、「岸辺」を削らざるを得ないかなあ・・
ひとまず「しまう」という動作を入れた提案句。
・ポケットにしまう言葉や神渡
スマホとわからず「手帳かも?」「日記かも?」「小説かも?」でも問題はないと思います。
詩の言葉を追求するのは大切だと思います。バランスですよね・・
点数: 0
「いとしさは隔てる時間エリカ咲く」の批評
添削した俳句: いとしさは隔てる時間エリカ咲く
こんばんは。
春の句。何か訳ありの句ですかね?
形はできています。鑑賞もできます。
句意がわからなければ意見を出すのが難しい句です。
敢えて、というと逆に厳しめになってしまうのですが・・
◆上五中七に具体性が薄く、一般論で終ってしまうような言葉。
受け手によってかなり薄っぺらな映像にならざるを得ない気はします。誰が誰のことを思っているのか?わずかな具体性が欲しいです。
◆「エリカ」と花の名を出した時点で咲いています。
この句で下五「咲く」が許容されるかどうか。意見はいろいろあると思います。私個人の意見は、この句はエリカの句ではなく取り合わせた季語なので、回避したい「咲く」ではあります。
御句は、上五中七が句の大きな主張なので、取り合わせの季語として「エリカ」が必要かどうか、というのもありますね。
誰かに送る句として「エリカ」が必要である、と感じますが・・
うーんどの言葉を変えてもOKかわからないので、提案句が上手に出せません。
・愛しさは会えなかった分だけエリカ
点数: 2