「春分に仲間集いし声弾む」の批評
添削した俳句: 春分に仲間集いし声弾む
こんにちは。
◆「集いし」では過去形です。下五は現在形なので、意味がおかしなことになりますね。
◆「仲間が集まる」のであれば、「声弾む」はわざわざ言わなくても・・と思ってしまいます。下五を他の言葉にするか、中七下五全体で調整したいところです
・春分や仲間集へることの佳し
・春分の仲間の世間話かな
点数: 1
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添削した俳句: 春分に仲間集いし声弾む
こんにちは。
◆「集いし」では過去形です。下五は現在形なので、意味がおかしなことになりますね。
◆「仲間が集まる」のであれば、「声弾む」はわざわざ言わなくても・・と思ってしまいます。下五を他の言葉にするか、中七下五全体で調整したいところです
・春分や仲間集へることの佳し
・春分の仲間の世間話かな
点数: 1
添削した俳句: 掌の土筆の雫光りけり
こんにちは。
「掌の〜雫」とあると、土手の土筆を摘んできて料理する前に洗ったのかな?と感じました。
もしその料理前の光景と仮定すると、雫に注目しすぎてしまうと他の野菜季語でもあまり風景が変わらないことになるので、少し季語「土筆」を立ててあげたいように思います。
・掌に雫つくしは光りけり
点数: 1
添削した俳句: 猫の恋しりとりうまいことだこと
こんばんは。
俳句としては成立していると思います。
中七下五は「誰かのセリフ」ですね。
自分が誰かに言われている、で受け取ってもいいですし、自分が誰かに言った、で受け取ってもいいと思います。
季語が「猫の恋」なので、猫に向けて「しりとりがお上手ね」と言っている、と考えてもいいですね。それは受け取り手の自由。
こういう句にありがちなのですが、
取り合わせの一発勝負なので、自分で塩梅がわかっていなくてもホームラン級の良い句になることもあるし、ダメな句になることもあります。
御句は・・・ホームランまではいっていないようですが、出塁はできている気がします。
点数: 2
添削した俳句: かなしびの向かふに並ぶ土筆かな
おはようございます。
◆意味の切れが全くなくつながっていると受け取った場合、
「かなしび」という単語が曖昧で、「かなしびの向かふ」ということばで作者が描こうとしている映像が何なのか、受け手が想像するのはとても大変だと思いました。
「かなしびの向かふ」という広い映像が想像できないまま「並ぶ土筆」という小さい風景に視点が移動して、広い映像が曖昧なままになりもやっとします。
◆「かな」構文なので文法上は繋がっているのですが、意味の切れがあると解釈することも可能です。
(例えば、「遠山に日の当たりたる枯野かな/虚子」の句の中七「日の当たりたる」は「遠山」にかかっていて「枯野」にかかっていないのは有名な話ですね)
・「かなしびの/向かふに並ぶ土筆かな」
(かなしびの⇒土筆、という意味にもとれる)
・「かなしびの向かふに並ぶ/土筆かな」
(かなしびの向かふに【自分が】並んでいて、取り合わせの「土筆」。虚子の「遠山」と同じ形)
意味を上記のように考えることも可能なので、より一層解釈が増えて、どれが作者の言いたいことなのか迷います。「受け手に任せる」のと「迷わせる」のは違うので、少し整理をした方がよいと思います。
たとえば「観念」を「風景」の中に混ぜると観念で風景が見えにくくなるので、もっと措辞を観念に寄せるか、シンプルに風景と季語に託すか、など・・・
点数: 3