「春待ちの床が上がらぬすきま風」の批評
こんばんは。
◆狙ってやっているならよいのですが、「春待ち」は冬の季語
、「すきま風」も冬の季語の季重なりです。同じ季節で、季節感はあるかたちの季重なり。
ただ、季語を重ねた効果はあまり感じませんでした。
冬の季語の多くは「暖かくなるのを待つ」という気持ちを伴いますし、家屋・生活の中まで忍び込んでくる「すきま風」は、天文季語ながらそのような気持ちを持ち合わせると思います。
「春待ち」という作者の気持ちを説明したいお気持ちはわかりますが、その説明をやめてみるのも検討してみてください。
◆「床が上がらぬ」の受け取りに悩むところがあります。
1.「床」を「とこ」と読む場合
1-1.「床上げ」は主に産後(あるいは大病後)の「主に寝て休んでいた期間を終えること」の意味があります。でも、この意味ではなさそうですね?
1-2.単に「寒くて起きられない」的な意味でしょうか?とすると「すきま風」の実景が主の季語として生きて来ます。が、「すきま風」とは寒いものなので、この季語があればわざわざ「床が上がらぬ」と寒いことを説明しなくても・・とも思います。
2.「床」を「ゆか」と読む場合
「床が上がらぬ」は「風が床を押し上げてしまうほどは強くない」という意味かなあ?この意味ではちょっと不自然ですね。
ということで私は1-2の意味で受け取りました。
上で書きましたが、「すきま風」という季語があれば、十分寒い風景です。寒いことを説明する中七は勿体ないと思ってしまうところでした。
また「布団」が冬の季語なのはご存じだと思いますが、この句は「布団から出られない」を遠回しに言いたいだけ?という気配も少し・・
「寒いから布団から出られない」という意味だとして、冬季語のそういう句はすでに多く詠まれていて、提案句が思いつきませんでした。
「春待ち」ということばを生かすなら、他に寒い季語は使わず感じさせたいところですね。「春を待つ」=「今は寒い、が、やがて来る春に希望を見ている」という季語なので・・・
・春待つや敷きっぱなしの床にいて