俳句添削道場(投句と批評)
イサクさんのランク: 師匠2568段 合計点: 7,821

イサクさんの俳句添削依頼

最新の投稿順に並んでいます。回答が付いた投稿が先頭に移動します。

近所にはこどもいなくてこどもの日

回答数 : 15

投稿日時:

母の日やビデオ通話の顔と顔

回答数 : 14

投稿日時:

村見守る松まだ無名みどりの日

回答数 : 10

投稿日時:

陽炎の中くぐり来る又従兄弟

回答数 : 15

投稿日時:

鳥の巣や俳句手帳を更新す

回答数 : 18

投稿日時:

イサクさんの添削

「散り散りに四辻を去ぬ冬茜」の批評

添削した俳句: 散り散りに四辻を去ぬ冬茜

こんにちは。
以下、大変失礼ながら丁寧語抜きで失礼します。

◆「去ぬ」の主語が明確には与えられておらず、【人】と想像するのが普通だと思うが「冬茜が去ると思わせたいのかも?」とも思わせるかたち。

◆【人】を想像したときに、「散り散りに」という上五は「直前まで集合体であった」ことを匂わせる。が、そのわりには「散り散りになった人物たち」の造形が見えてこない。
 コメントを見る限り「単なる通行人」の風景を想定していると思う。「散り散り」という単語にはそこまで意図がなかったのであろう。とすると「散り散り」という措辞がこの句にとって幸せかどうか。

◆【四辻】の効果も検証したい。「散り散りに四辻を去ぬ」という措辞で「四方に去る」を強調しているようにも感じる。なので、よりいっそう「直前まで集合体であった」と思ってしまう。友人たちの集まり?などと解釈しそう。
 なんらかの方法で「道」の風景を入れることは、この句には必要だと思う。その措辞が「四辻」であることがベターかどうか。「四」の数詞に意義が発生する。もっと平易な言葉ではどうだろうか。

◆「去ぬ」の効果。「散り散り」があれば「去ぬ」はおそらく省略可能。俳句で省略可能な動詞を敢えて出す場合、それなりの効果を期待して使いたい。でなければ「説明」「音数合わせ」っぽくなってしまいがち。

◆この句の場合は季語の選択には口を出しにくい。「冬茜が散り散りに去ぬ」というイメージを作者が出したいのであれば、他にありえないので。

ということを考えつつの提案句です。
・冬茜ひと散り散りに己が道

点数: 0

「春空や寒波の中冬寒し」の批評

添削した俳句: 春空や寒波の中冬寒し

こんにちは。はじめまして。

季語が「春空」「寒波」「冬」「寒し」と四つ入っています。

 特に以下2点が気になります。

◆上五「春空」、コメントで「春」と断定されているのに、下五で「冬」
◆「寒波の中」なので「寒い」のは当たり前なのではと思います

厳しめに言えば
◆少し昔のAIに作らせたような俳句、と感じました。
◆コメントも「対比が感じられる一句です」と自分の句を他者の評価のように言うなど、AIが説明するような文調の印象です。

季語がしっちゃかめっちゃかなので、少し整理しないと、対比も感じないと思います・・

点数: 1

「雀来てふくら雀となりにけり」の批評

添削した俳句: 雀来てふくら雀となりにけり

こんにちは。

>「ふくら雀が来るのではなく雀が来てふくら雀になるのです」
たしかに理屈ではそうなのですが、俳句とするならば観察者の主観によって受け取り方が異なりそうな気もします。

◆雀がどこかから目の前に来て、ふくら雀と呼べるサイズになるまでじっと見ていた
 ⇒これなら掲句のとおりなのですが、そんな長い時間をいちいち報告されても・・とは思いますね

◆さっきまで雀がいなかった場所(自宅の庭など)に、気付いたら雀がいて、すでにふっくらしていた
 ⇒このケースでは「ふくら雀が来た」という感情を抱くかもしれません。ですが「来た瞬間を見ていない」ので、俳句に「来て」という単語を入れるのは難しいかもですね(不可能とは思いません)

◆雀が来て、気づいた時にはふくら雀になっていた。飛んでいるときには区別がつかないため、観察者は「ふくら雀が来た」と思い込んでいる
 ⇒こういうケースもありそうです。観察者にとっては「ふくら雀が来た」で間違いではない状態。むしろ「ふくら雀になった瞬間」を見ていないため「ふくら雀になった」と表現するのは嘘を含んでしまう。

個人的には、理屈では来ないものを「来る」と断定するのも俳句の面白さなので、「ふくら雀が来る」はやりようがあるのではないかなあ・・なんて思っています

・つぎつぎとふくら雀の来てをりぬ

点数: 2

「冬ぬくし誰にも言わない嘘ひとつ」の批評

添削した俳句: 冬ぬくし誰にも言わない嘘ひとつ

こんにちは。

情感を出そうとしているのはわかります。
ひとつ、どうしても自分では解決できなかった点が。

◆「誰にも言わない嘘」
 ⇒つまり「まだ誰にもその嘘を言っていない」ということになっていますが、句意は正しいでしょうか?

 句のイメージでは「真実は誰にも言わずに心の中に秘めて、嘘をつらぬく」と受け取りそうになったのですが、句の内容は「嘘を思いついたが言っていない」ことになっています。

嘘を他人に伝えていないならば、まだ嘘ですらないので・・・もしや自分をだますための嘘?

点数: 1

「息白し街灯に浮く停留所」の批評

添削した俳句: 息白し街灯に浮く停留所

おはようございます。

中七下五「街灯に浮く停留所」がかなり良いと思います。
「浮く」がよく効いてるように感じます。

上五の季語との相性(取り合わせ)、悪いわけではないですが、感覚的にベターではないように感じました。
理由を考えましたが
◆「息白し」は人事の季語で人物の映像を伴いますが、中七下五は人物の映像を補完しておらず、バス停に「どんな人」が「何人いるのか」、「息を吐くのが自分(作中主体)か他人か」すら受け手に委ねられて、広く受け止められすぎるから

 言い方を変えれば
【季語と、季語以外の部分の共鳴が足りていない。もっとできそうな季語がありそう】
というところです。
この句の中七下五の映像の主役は「停留所」なので、変に「そこにいる人」をもうひとつの主役にしてぶつけるのは、視点がブレるのもありますし、避けた方がよいかもですね。
同じく冬の人間を表す季語「手袋」「マフラー」「コート」「風邪」「くしゃみ」なども試してみましたが、同じような感じです。ダメというわけではないですが。

・月氷る街灯に浮く停留所
・小雪ふる街灯に浮く停留所

点数: 2

イサクさんの添削2ページ以降を見る

トップページへ
添削依頼をする!

「私はロボットではありません」にチェックを入れてください。

▼添削依頼された俳句の検索

▼添削と批評(返信)の検索

ページの先頭へ

俳句添削道場の使い方。お問い合わせ

関連コンテンツ