「散り散りに四辻を去ぬ冬茜」の批評
添削した俳句: 散り散りに四辻を去ぬ冬茜
こんにちは。
以下、大変失礼ながら丁寧語抜きで失礼します。
◆「去ぬ」の主語が明確には与えられておらず、【人】と想像するのが普通だと思うが「冬茜が去ると思わせたいのかも?」とも思わせるかたち。
◆【人】を想像したときに、「散り散りに」という上五は「直前まで集合体であった」ことを匂わせる。が、そのわりには「散り散りになった人物たち」の造形が見えてこない。
コメントを見る限り「単なる通行人」の風景を想定していると思う。「散り散り」という単語にはそこまで意図がなかったのであろう。とすると「散り散り」という措辞がこの句にとって幸せかどうか。
◆【四辻】の効果も検証したい。「散り散りに四辻を去ぬ」という措辞で「四方に去る」を強調しているようにも感じる。なので、よりいっそう「直前まで集合体であった」と思ってしまう。友人たちの集まり?などと解釈しそう。
なんらかの方法で「道」の風景を入れることは、この句には必要だと思う。その措辞が「四辻」であることがベターかどうか。「四」の数詞に意義が発生する。もっと平易な言葉ではどうだろうか。
◆「去ぬ」の効果。「散り散り」があれば「去ぬ」はおそらく省略可能。俳句で省略可能な動詞を敢えて出す場合、それなりの効果を期待して使いたい。でなければ「説明」「音数合わせ」っぽくなってしまいがち。
◆この句の場合は季語の選択には口を出しにくい。「冬茜が散り散りに去ぬ」というイメージを作者が出したいのであれば、他にありえないので。
ということを考えつつの提案句です。
・冬茜ひと散り散りに己が道
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