灰空ときどき死神〜ぼくが生きた7日間〜の第4話 全4話で完結
最終話・灰空ときどき死神〜ぼくが生きた7日間〜の第4話
作者 mee(雨霧) 得点 : 1 投稿日時:
「――ちょっと」
はい、と人の良さそうな声で振り返った白衣の男が、僕を見た瞬間、ほんの一瞬だけ顔を歪ませたのを見た。
今までも何度かあった。「死ぬ」と僕が言った相手は、死ぬ。
とはいえそれも大昔の話だ。この十年、僕はほとんど隔離病棟から出ていなかった。彼の驚く瞳が揺れる。
「なんだ――ひさしぶり、だね。運命くん。今日は具合がいいのかい?」
「はい、僕はぜんぜん。あの」
「……なにかな?」
「久しぶりに、『死神』の仕事をしにきました」
彼の抱えるカルテを抜く。
おい、ちょっと、と止めるような声が聞こえるなかで、大辞典のなかから一行の記載を探す学者のように、僕は高速でページを捲った。
――あった。
一度しか見たことがない、あの少年の顔が見つかる。
盲腸。手術は簡単。執刀医の名前もビンゴ。
一枚引き抜き、彼に突きつける。
「――こいつ、死にますよ」
「……っ、運命くん、そろそろ悪役ごっこも卒業するころじゃないのかな」
彼は口を歪ませ、僕の手からカルテを取り返した。
「あのね。君は知らないだろうが――こんな手術、死ぬなんて大袈裟なことを言うほどのものじゃない。彼と知り合いなのかな? 間違っても本人に不安にさせるようなことを言うんじゃないぞ」
「いいえ、必要なら言います。『死神』が執刀医の変更を求めたら、ご家族は不安に思うでしょうね」
「……僕は、あまりに信用がないみたいだね」
ヤブ医者は、すでに嫌悪を隠さなかった。
「あのね、運命くん……せっかくできた友達と仲良くしたいのは分かるが……」
「別に彼のために言っているんじゃありません。話したこともありませんし」
「では、誰のために?」
……。
誰の為に?
そりゃあ、もちろん、ヒトミのためだ。
頼まれたからやっている。彼をみてやってほしいと――たぶん、ヒトミはそういうつもりで、言ったんじゃないだろうと思うけど。
「とにかく、あなただって、医者なら俺の言ったことを全部覚えてるでしょう。チヨさん、小林さん、加藤くん、それから――」
「――人の古傷を抉って楽しいのか?」
すべて、この医者が手術に関わって、そして死んだ患者の名前だった。
もう十年も前のことだ。チヨさん。あの時助けられていたとしても、今もう生きているかも怪しい。小林さんは、お子さんが生まれたばかりだった。加藤くんは――ぼくとおないどしだった。
「お願いです、人を殺したいわけじゃないはずだ」
眉を顰め、少しなにかを考えるような素振りを、彼はとった。
しかし結局首を振って、彼は行く。
「……今のは、妄言だと思うことにするよ。でも君の担当医には言わない。とにかく、病室に戻りなさい……」
*
考えた。たくさん、考えた。
本当は病室を出て、都会に行ったり、田舎に行ってみたり、とにかくむちゃくちゃやってみる予定だった。どうせ死ぬのだから。
だけど結局、僕は七日間、この病室の中にいた。
そして今。
「……ぜったいに、死んでも誰にも同情してもらえないよなあ……」
少ない貯金をはたき、通販サイトに特急便で注文した、木製バット。縄。タオル。
こんなんで本当に大丈夫なのかよ、という心配はあるものの――まあ、いい。とにかくやるんだ。
朝の検診が終わる。ひょっとして奇跡が起こっていやしないかと、担当医に他の医者の出勤状況を聞いた。誰も欠勤していなかった。そもそも医者というのは殆ど欠勤しない生き物だと、僕は知っている。――つまり、あいつも今日は予定通りメスをとる。
病室の窓から、中庭を見下ろす。僕しかいない病棟なので、僕の希望で、一番うえのみはらしのいい病室を使わせてもらっている。
だから――まいにち見えていた。少女と少年が、朝の散歩ですれ違うのが。
少年の周囲には、変わらず黒いモヤが見えていた。
「……よし、行くか」
僕は立ち上がり、荷物一式を持って病室を出る。カルテを盗み見たから知っている、手術は二時だ。だから、昼までにあいつを『手術できない状況』にすれば――それでいい。
*
見知った廊下をすり抜け、僕は歩く。
この一週間、出来るだけ一般病棟もぶらつくようにしていた。今日、怪しまれないために。
その甲斐あって、皆ひそひそと声を潜めてなにごとかを話してはいるものの、都合よく無視してくれる。すぐに部屋に辿り着き、僕はノックせずに部屋に入った。
あとは非常に簡単だった。
本当に十年以上も重篤患者として入院していたのだろうかと自分で自分を疑いたくなるほど簡単に、医者は倒れた。
よし、こんな状況ではさすがに手術しないだろう。
僕はほっとして部屋を出た。
ひょっとしたらこれまでも、こうしていれば良かったのかもしれない、とも思った。
僕は今日、本当の意味で人を一人救ったのだ。初めて。
*
そして僕は、初めて人の命をひとつ救った僕は死んだ。
まるでルートを間違えた恋愛ゲームみたいだ、と思った。女の子と出会って、女の子の好きな男を助けて、そうして一人で死ぬなんて。
バカみたいだ。
まあでも――。
黒いモヤ。それが見えてよかったのかもしれない。
死神でいるしかなかったけど、でもエスパーさんにもなれた。
まぶしい光のなかで、僕はほっと一息をついた。
もう誰とも会うことはない。死神と呼ばれることもない。ない。ないけれど――。
――墓の前に、ココアが添えられていた。
供花の一本もない僕のくだらなかった人生のなかで、たったひとつ。それだけ。
END