「五連敗帰路に追い打つ秋時雨」の批評
カイさん、こんにちは。
先日頂いた質問の返事を書かせて頂きます。
>麻雀が分かる人にはハコテンでも意味が通じると思いますが、齧ってない人にはハコテンって何?みたいな事になるんではないかな?と感じましたが、秋沙美さんはどう感じますか?
これは、その人が何の為に、誰の為に俳句を詠むかで答えが大きく変わってくる質問だと思います。
そもそも俳句は散文、説明文ではないたった17音の詩です。その性質上、伝わらない人には絶対に伝わらないんですよ。誰にでも分かるように17音に収めようだなんて、無理な話なんですね。
ハコテンというワード、確かに麻雀を知っている人以外にはまず伝わらないでしょう。もしこれを俳句のコンクールに出して、選者が麻雀を全く知らなかったら、まあ目も当てられません。
けど賞に出すとかそういうのでなければ、伝わる人に伝わったら別にそれでいいじゃない。って思うんですよね。
麻雀を知らない多くの人にも共感して欲しいと思って詠むなら、「負け越しの」など平易な言葉で。ただその場合、平易な俳句にしかならないと思います。
「ハコテン」という固有のワードを使えば、麻雀を知らない人にはチンプンカンプンでしょう。が、麻雀を嗜む人だったら「あーそれは悔しかったね」と、きっと感じ取ってくれるのではないしょうか。
万人の共感を得られなくとも、誰かにグッと伝わる俳句が読めたら、それはそれで幸せな事だと思いますよ。
>「みなしご」は「孤児」と漢字があるのですが、なぜひらがなにしたのですか?
身も蓋もない言い方をしますと、「なんとなく」です。
「孤児」という漢字を読んだ100人の内、おそらく99人は「こじ」と読むと思うんですよ。もちろん「こじ」でも句を詠む事は可能です。
「逃げ足の孤児の猫をり冬あはれ」
「逃げ足の速きて猫の孤児や冬」
もしかしたら、こっちの方が句として整っているかもしれません。
でも僕は「こじ」よりも「みなしご」という語句により一層の哀れさを感じたんですよね。理由ですが…………何となく、です(笑
とにかく、なんとなーく「みなしご」という語句の持つ哀れさが、僕が見た光景にピッタリだと思ったんですね。
>この句の季語が分からないので教えてください。
「冬あはれ」がこの句の季語となります。ネットの歳時記には載っていませんでしたが…。
冬といえば動物たちが冬眠に入ったり、色鮮やかだった木々がその葉を落としたり、昔だったら十分な食べ物を得られずお腹を空かせたり…と、
冬って、色々なところにあはれが転がっている季節だと思いませんか。
そうした、「冬に抱くあはれの感情」といった意味を、逃げ足の猫と重ねた次第です。
添削のお礼として、秋沙美 洋さんの俳句の感想を書いてください >>
秋のある日、三麻で振り込んでないのに相手にツモられ続けて、五連敗した日がありました。
その日の帰り道に、いきなり強い雨が降り始め、しかも傘を持ってなかったので、急いで雨宿りしようとしたら雨が止んで、また帰ろうとしたらまた強い雨が降ったりして、「今日は散々だ」と思った事があり、ついてない時は本当にツキがないと経験した事を句にして見ました。
麻雀の事を使わず、五連敗という言葉を使ったのは何の勝負で負けたかを読んでる人にイメージさせようかなと考え、五連敗という言葉を使いました。