「冬蝶もその影もまた花を去る」の批評
回答者 そうり
拓也さま
こんにちわ。冬蝶の弱々しさと「影」響き合っていいですね。上五を「や」で詠嘆すると、季重なりは気にならないかと、、、。あるいは例えば、参考ですが、、、
「冬蝶や影もろともに庭を去る」、、、、とか。句意を損ねましたらご容赦下さい。
点数: 1
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作者 拓也 投稿日
回答者 そうり
拓也さま
こんにちわ。冬蝶の弱々しさと「影」響き合っていいですね。上五を「や」で詠嘆すると、季重なりは気にならないかと、、、。あるいは例えば、参考ですが、、、
「冬蝶や影もろともに庭を去る」、、、、とか。句意を損ねましたらご容赦下さい。
点数: 1
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回答者 平果
季語「冬蝶」の儚さ物悲しさが見事に表現されていますね!
懸念されている「冬蝶」と「花」の季重なりの件ですが、どちらか一方が主であり、また一方が脇であると明らかに判る場合は許容されるという記述を目にしたことがあります。
なにより貴句の「花を去る」は、弱々しい冬蝶が生命の源である花を離れ、その行く先は決して明るくは無いだろうと想像させる働きがあります。なので、このままでよいと感じました。
「影もまた」も、冬蝶という一つの存在全体が終わりへと向かう様が詠み込まれているようで、句の儚いイメージを支えていますね。
...しかし、ここまで書いてきて、「冬蝶」に対する理解は、儚いとか脆いとか弱々しいとかいうもので本当にいいのかという心持ちになりました。どこか、逆境に堪える凛とした力強さがあるような気もしてきました。先行する句をよく読みたいところです。
点数: 2
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回答者 猫山竹
こんばんは😃楓のコメントありがとうございます。
文語と口語、そうなんですね!初めに読んだ本に、一つの句の中での混同は避ける、とありましたのでずっとそうなのかなぁと思っていましたが、文法の違いによる意味の混乱を呼ばなければ大丈夫なのですね。ありがとうございます✨🙇🏻♂️
御句、儚さと美しさの中に、移ろいゆく季節の営み、自然の摂理が感じられます。淡々と「去る」だけなのに、何故こんなにも無常観、侘び寂びを感じられるのか…俳句の力ですね👏🏻👏🏻!
点数: 1
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こんばんは
冬蝶と花の季重なりが不安です。
よろしくお願いします。