「夏海剥がれボロボロの靴でゐる」の批評
こんばんは。ご挨拶ありがとうございます。
俳ポ「夏の海」なつかしいですね。
掲句、初読から引っ掛かりがありまして、
◆靴から夏海が剥がれた+ボロボロの靴(の人)、という風景と受け取りました。
私の脳内では、「夏海が剥がれる」という措辞に「もうすでに夏海の現場を離れている」⇒「夏海感がない」という風景となりました。
ご存じの通り、あの選者先生は【季語
の鮮度】を重視します。この句のままでは、上位選には入りにくい気がします。
◆「ゐる」で自分(人)の行動に着地。「夏海」「ボロボロ」「靴」に対して【人】に着地することの是非があるように感じました。
この点は、古味鳥椋人様も「無理やり着地させた感」、本意ではなかったようですね。
小手先になりますが、例えば「剥がれ」てしまうのではなく、そこに「夏海」が残っていた方がいいと思います。秀作句にも「洗い流そうとしているが頑強に残っている」という句があります。
・夏海残しボロボロの靴である
で、下五「ある」ではなく体言受けパターンを考えますが、句中には受けられそうな名詞が「海」と「靴」しかなく、かなりの改作が必要な気がします。
「靴」の種類を具体的にして映像化する方法はあるかもですね。
あまり上手にできませんが・・
・夏海残しボロボロのスニーカー
・革靴はボロボロ夏の海匂う (体言止めできず・・・)
「匂う」は、三音程度の名詞やオノマトペなどに変更可能かもです。
添削のお礼として、イサクさんの俳句の感想を書いてください >>
初めての投稿です、よかったら勉強させてください!
4年前の俳ポ並選の句です。でゐるが無理矢理着地させた感ある仕上がりで、うまく体言で受け止めたいけど、思いつかない!ということでお力添えいただければ🙇♂️