「春昼や母になりたる友の膝」の批評
佐和さん、初めまして、こんばんは。みつかづと申します。
貴句、拝読いたしました。
「要望:厳しくしてください」とございますが、結論から申し上げますと、
幾ら厳しく見たところで、直すべきヶ所が1文字たりとも在りませんし、
語順にも違和感がありませんでした、私めには。
逆に迂闊に触ってしまいますと、元句の良さが全て台無しになってしまいますので。
「上五に季語
を置いて間投助詞「や」で詠嘆し、中七下五で1フレーズ」の
「基本の型」+体言止め。俳句
の王道ですよね。
季語の春昼(三春・時候)。「春の、のんびりとした昼間」を意味する名詞の季語。
何とものんびりしている春のお昼である事よ、と。
カットが切り替わって母になって今もそうであるご友人の膝ですよ、と。
その膝の上では子供さんが昼寝しているかもしれない。
談笑やテレビ観て曲がっているかもしれない。
家事して立っているかもしれない。
また、季語「春昼」は分類が時候ですので屋内、屋外を問わないんですよね。
ベランダや庭で追加の洗濯物を干している膝かもしれませんし、
子供さんを連れて買い物に出掛けて歩いている膝かもしれません。
読者に想像させる余白が多めに取られていますし、余計な表現が一切無いですよね。
そして、中七のラストの完了・存続・継続の助動詞「たり」の連体形「たる」。
これはもう、間違い無く名詞「友」に係っていると解釈可能です。
理由は、もし「たる」が膝に係っているとしますと、膝ではない何かが膝に変化して
今も膝であるとの意味になり、「膝が膝になる前は一体何だったんでしょうか?
骨の露出でしょうか? 怖いです」って事になっちゃいますから。
人間関係が変化して、「友でなかった人が今では友で、その関係が続いている」と
解釈する方が文法的にも、人間解剖学的にも論理的整合性が取れますよね。
最後に、中七の品詞分解が2通り在り得るのがとても興味深かったです。
A:名詞「母」+格助詞「に」+動詞「なる」の連用形「なり」
+完了・存続・継続の助動詞「たり」の連体形「たる」
B:名詞「母」+断定・所在の助動詞「なり」の連用形補助活用「に」
+動詞「なる」の連用形「なり」
+完了・存続・継続の助動詞「たり」の連体形「たる」
大体はAでしょうけど、Bも無くは無いです。
このまま味わいたいと私めは思いますし、この貴句を私めは
迂闊には怖くて触れません。元句の核が崩れてしまいますので。
評価も最高にさせていただきました。
以上でございます。お目通しいただき、感謝いたします。
添削のお礼として、みつかづさんの俳句の感想を書いてください >>
おつかれさまです!失礼します。先日職場の若い子が久々に友達数人と遊んだそうです!その時の話しを聞き詠んでみました。久々に会った子供はちょっと大きくなり、他に宿した友達とかもいたそうです!春の穏やかなひとときを、今子を乗せてる膝なのか、これから乗せていく膝なのか色々考えました。よろしくお願いします。失礼致しました。