「サイダーに陽の溶けたるや船をこぐ」の批評
回答者 慈雨
花渕然さま、こんばんは。
前の句にもコメントさせていただいたので、こちらにも失礼します。
まず作者コメントについてですが、やはり上五中七は厳密には比喩だと思います。
実景だとすると、「溶ける」というのは固形物が溶解して液状になることですので、陽(日の光)が溶けるというのは物理的に無理があるかと。
季重なりが解消されたのは良かったと思います。
ただやはり下五「船をこぐ」が気になっちゃいますね。。いるか様へのコメントを見ると、居眠りをするという慣用句として使われたとのこと。
▼慣用句と断定できない(実際に船の上にサイダーがあるとも読める)。
▼「サイダーに陽が溶けた」ことと「居眠りをした」ことの時系列がわからない。同時だとすると、サイダーは夢の中の光景とも読めてしまう。
ーーなどがありますが、一番は「そもそも居眠りという情報を入れる必要性がなさそう」と思います。
いるか様もコメントされていますが、上五中七が(居眠りをしていたかどうかに関係なく)素晴らしいので、そこに集中した方が感動が伝わると思いました。
なお一般的に、俳句に慣用句を用いるのはダメとは言いませんが、私はあまりお勧めはしません。
説明的になりやすい、音数を消費する、オリジナリティがなくなるーーなどのリスクが大きいので、高難度なテクニックだと思います。
・サイダーに陽の溶けてゐる朝かな(朝=あした)
またよろしくお願いいたします。
点数: 0
添削のお礼として、慈雨さんの俳句の感想を書いてください >>


以前、添削依頼を出した句を自分なりに寝かして、書き直しました。以前添削していただいた皆さんに見て頂けると嬉しいです。
何人かに指摘をいただいたのですが、上五中七は比喩ではなくて、私的には実景のつもりです。
私が見たサイダーには、たしかに陽が溶けていました。