「警備員捌くや三輪の初詣」の批評
いくつかの意味で、致命的な句。
1.「警備員捌くや」とあるが、「警備員が参拝客を捌く」というありふれた景を詠嘆する意味が分からない。季語
や特殊な景、心に残る何かを詠嘆するのなら分かるが……
2.二度読む事に耐えられない句。「(三輪の)初詣」まで読み終わって、「警備員(が参拝客を)捌く」と来たら、「人手が多ければ、そんなの当たり前じゃん」という感想しか残らない。
3.「三輪の初詣」という単語に大したインパクトが無い。たとえ二度読む事に耐えられない句であっても、オチの部分である下五のインパクトが強ければ、読み手としてはまだ納得できる。
以下、いくつかの添削
案。
警衛や百万人の初詣
1と3を意識した句。
かつて、初詣は川崎大師に行っていました。あそこは三が日だけで300万人もの参拝客が押し寄せて来るそうです。警衛(警備)もさぞ大変だろう……という事で、「警衛や」。
大神神社も三が日で50万人程度の参拝客が来るようですが、肝心なのは「神社の名前や規模」ではなく「読み手が直感的に分かる景であるかどうか・読み手が納得できる景であるかどうか」です。「ググらなければ分からない事柄」よりも、「読んだだけで分かる事柄」の方が、読み手へのインパクトは高いですし、句景伝達速度も格段に上がります。
万緑の中や吾子の歯生え初むる
2を意識した句は、適当な物がすぐに思い浮かばなかったので、これを使わせて頂きます(本当にすみません(>_<))。
「万緑の中や吾子の歯生え初むる」は、二度読むと「子供の歯が生え初めた(=生命力の象徴)」から「万緑の中や」と来るので、生命力を暗示する「万緑」がより味わい深く感じます。
「万緑」と「子供の歯が生え初めた」という2つの事柄は、「直接の因果関係は無いが、「生命力(新たな生命の芽吹き)」というキーワードで繋がっている」という関係性があります。俳句
でよく言う「付かず離れず」と言われる物ですが、この関係性が大切です。「初詣+警備員」は近すぎるので、この形式の句を作るのは難しいと思います。
なお、この時前半に置かれる要素を、私は「伏線」と呼んでいます。「伏線」には、「目立たないけどその場の全体を支配できる単語」が適しています。
警備員人が来ぬ間に初詣
あ……これはただのオマケです。でも、役得でこういう事をしている警備員さんも一人や二人……いないか(-_-;)
添削のお礼として、ヨミビトシラズさんの俳句の感想を書いてください >>
新年、あけましておめでとうございます。
本年も、どうぞよろしくお願いいたします。
有名な、奈良県の大神(おおみわ)神社での初詣の交通誘導警備の経験より。
晩秋の季語「大神神社祭」として使われている、歴史ある神社です。
季語「初詣」を下五に置こうとして、中句切れになったものです。
「主体の運動の前景化」、「季語が後半で自然に立ち上がる」との構造は、
草田男の「万緑の中や吾子の歯生え初むる」の橋渡し構造に似ている所は
あるのではないかと考えております。