「冷たしと泣かぬ我あり冬の雨」の批評
佐竹さん、今日は!頓です!
早速にて…。
お久しぶりです。
さて、御句、あらちゃんさんが仰せのとおり「季重なり」です。
御句の場合、季語
、主役、あくまでも「冬の雨」で、「冷たし」については、季語「冬の雨」をより強調する意味合いで、敢えて置かれたのでしょうかなぁ…。
「冷たし」だけで、立派な冬の季語ですので、並列に置くと、返って「冬の雨」が、霞んでしまうようにも感じます。
絶対に駄目だという訳ではないらしいですが、出来得るならば、「季重なり」は、避けた方が良いかと思います。
「季重なり」は、さて置き、作者コメントのとおり、強い決意を表現された作品ですなぁ…。
ただ、その決意表明、自我が、全面に出過ぎている印象が強いかと…。
また、「我あり」の措辞ですが、「我(自分)」と敢えて言わなくても、景の描写によって、作者の存在を伝えた方が、よりベターかと思います。
私も詠んでみました。元句の句意を生かしつつ、抑制して、
《泣かぬ身を濡らして重き霙かな》
季語を、勝手に「霙(みぞれ)」に変えてしまいましたm(_ _)m。
季語「霙」に作者の耐え忍ぶ、複雑な決意と葛藤等を託しましたが…。
ほんのご参考程度に…。
冗長になりましたm(_ _)m。
以上、失礼仕りますm(_ _)m。
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前だけを見て、簡単には泣かない、簡単にはへこたれない。強く生きる自分を意識して詠みましたが、どうでしょうか?