「肩車見上げた滝のしぶき浴び」の批評
回答者 なお
樹さん、こんにちは。
再訪です。
先の私のコメントが、言葉足らずで、誤解を招いたようで、失礼しました。幸い、ヒッチ俳句さんが見つけてくださり、適切なフォローをしてくださいました(ヒッチさん、有難うございました!)。
もう少し、樹さんに寄り添って、わかりやすい解説をしなければならなかったですね。
これから気をつけますので、またよろしくお願いします!
点数: 1
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作者 樹 投稿日
回答者 なお
樹さん、こんにちは。
再訪です。
先の私のコメントが、言葉足らずで、誤解を招いたようで、失礼しました。幸い、ヒッチ俳句さんが見つけてくださり、適切なフォローをしてくださいました(ヒッチさん、有難うございました!)。
もう少し、樹さんに寄り添って、わかりやすい解説をしなければならなかったですね。
これから気をつけますので、またよろしくお願いします!
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回答者 ヒッチ俳句
こんにちは。
はじめまして。
なお様のご指摘を少し勘違いされているようなのでお邪魔しました。
俳句では句の中に「誰が」(作中主体と言います)「~した」と言うことが明示されていない場合は基本的に「自分」(一人称)のことになりますよ。と言うのが、なお様のご指摘です。
ですから「俳句は自分のことしか詠めない。」と言うことではありません。
御句の場合、「肩車をした親子が、ずっとたたずんで滝を見上げたまま、と言うのを詠みたかった」とコメントされています。
それをそのまま詠めば、
子を肩に佇む人や滝の音
のようになりますね。この場合の「人」が作中主体となり、作者(樹さん)はその様子を見ていることになります。
説明があまり上手くないので、お分かり頂けたか心配ですが、、、
よろしくお願いいたします。
点数: 2
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回答者 慈雨
樹さま、はじめまして。よろしくお願いいたします。
御句、ほのぼのとした親子と気持ちいい滝の光景が浮かんでくる句ですね☆
句の構成についてはなお様、ヒッチ様が的確なコメントをされていますね。
私は作者コメントにある季語「滝の音」(「滝」の子季語)について、コメントさせてください。私なりの理解ですので、参考程度に…。
樹さまのご指摘の通り、「滝」だけで岩壁から落ちる水の光景、水しぶき、音ーーといった情報を含んでいると思います。
ただし滝は一年中存在するもので、それがなぜ夏の季語かと言えば、とりわけ暑い夏の季節に清涼感を感じるからです。したがって「滝」という季語の主眼(本意)はその涼しげな姿にあります。
それも踏まえ、俳句で「滝」ではなく「滝の音」を使う場合としては、
①滝の姿ではなく「音」をとりわけ強調したいような場合
②滝の姿は見えず、音だけが聞こえているような場面を詠みたい場合
ーーが挙げられるかと思います。
そんなところでお答えになっているでしょうか?
季語は本当に奥深くて難しい(=面白い)ですね。
「滝の音」を使った名句などを調べてみると、イメージも沸きやすいかと思います。
またよろしくお願いいたします!
点数: 1
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回答者 なお
樹さん、こんにちは。
御句拝読しました。
俳句は、基本的に作中主体が詠んでいる、すなわち作者が行動の主ということになります。そうなりますと、御句では、肩車をしているか、されているのも、見上げているのも、滝しぶきを浴びているのも作者になります。
ちょっと動きが多くて、どの動きのことを一番伝えたいのかわかりにくくなっています。
肩車された子が俳句を詠むとは思えないので、肩車をしている人が詠んだとします。
滝は大体「見上げ」ますのと、しぶきは大体「浴びる」ものですからそれぞれ省いて、
・肩車はしゃぐほっぺに滝しぶき
「ほっぺ」で子どものことだと表現したつもりですがいかがでしょうか。
よろしくお願いします。
点数: 0
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優れた添削・批評は日本俳句研究会の記事として、転載、引用させていただく場合がございます。ご了承ください。
家の近くに滝があるのですが、滝の真下まで歩いて行けます。
お父さんと小さい子供が滝を見上げていた様子を詠みました。
「滝の音」について
滝は音がするものなので、「の音」と付けると音が重なってしまう気がするのですが、
何故「滝の音」で大丈夫なのでしょうか?
勉強中なのでコメント頂けると幸いです。
宜しくお願い致します。