「川べりやうつらうつらへ牛蛙」の批評
小沼天道さん、こんにちは。
御句拝読しました。誰もまだコメントなさっていない時に、私がコメントを書いて送ったつもりが送られていない!それこそ「うつらうつら」だったからなのか?(笑)
あらためてお送りします。
御句、川べりでうつらうつらしていたら、私のそばへ牛蛙が来た、という意味ですよね?牛蛙になってしまった、ということではないですよね?
まず、めいさんもいいことおっしゃっていますが、川べりをなんで「や」で切れを入れたり詠嘆するのかな?ということ、よほど素敵な川べりだったですか?なんとなく、単に場所を示しているだけのような気がします。
また、うつらうつらへ牛蛙では、先に揚げたような意味に取ってもらうには少し無理があるかなと。たしかに、俳句
は一人称ですから、うつらうつらしているのは私、かもしれませんが、その後の牛蛙が唐突なだけに、「?」となりそうです。
・川べりにまどろめば来る牛蛙
・川べりにうとうと横に牛蛙
川べりと牛蛙を生かして中七だけ加工しましたので、かなり無理やり感がありますが置かせていただきます。
よろしくお願いします。
添削のお礼として、なおさんの俳句の感想を書いてください >>
季語:牛蛙(歳時記では蛙が春ですけど、
・牛蛙鳴いて夜明の水の音(河合笑子)
・牛蛙水銀灯の夜明けかな(加藤みき)
とかで仲夏の季語だそうなので使っちゃいました。
それより、「うつらうつらへ」と言う、「うつらうつらする私へ」の「私」が無くても読者は解ってくれそうだからいいかな・・と削ってみました。いかがでしょうか?