「子との間にそら豆の皮たまる皿」の批評
回答者 イサク
おはようございます。
「こどもとのあいだに空豆の皮がたまる皿(があります)」という散文の形になってしまっています。
原因のひとつは
◆言いたいことをできるだけ入れようとしているから
です。「こどもと自分が作業している」「空豆の皮がたまっていく」「お皿にたまっていく」ということを全部十七音に入れてしまおうとしているからです。
前の句のコメント(投句し直しは、転載していただくと助かります。前の句を探しに行くのも大変なので)によれば、もっと言いたいことはあったようで、これでも省略したようですが、まだ十七音には多いです。
他の原因として
◆「子との間に」という言い方が説明的で、五音に収めようとして窮屈
◆語順が悪く、「皿」が映像の主役になっている
などがあります。
とりあえず、要素をすっきりさせたいところ。
まず、季語「空豆」は主役に立てるのが大前提。
十七音と短い俳句で、季語以外に主役の要素があるとしたら、ひとつ程度にするのが基本です。
それは「子」でしょうか「剥く行為」でしょうか「皮のいっぱいのった皿」でしょうか。
・いっぱいの空豆を子と剥いており
・手伝いの子や空豆を剥いており
・空豆を剥いて皮など数えたる
・空豆の皮いっぱいの皿となり
点数: 1
添削のお礼として、イサクさんの俳句の感想を書いてください >>
「子との」の部分が「子とも」になっていたので再投句
連投失礼します。